Prince Takamado Visiting Student Scholarship

Message from Past Students - 第14回留学生 (R.K.)

宮さまの足跡をたどって

本文に先立ちまして、日加協会名誉総裁として十五年ものあいだ日本とカナダの友好のためにご尽力くださいました高円宮妃久子殿下に歴代の奨学生を代表して心より感謝申し上げます。さらに、高円宮家の三女であり、日加協会名誉総裁を務めておられる絢子さまのご結婚を衷心よりお慶び申し上げます。高円宮家とともに日本とカナダの友好が末永く続きますことを希うばかりでございます。

1 はじめに

高円宮記念クィーンズ大学留学奨学金の奨学生として留学した一年間は永遠に忘れられないひと時となりました。この場を借りて、本奨学金をご支援くださっている関係各位に心より御礼申し上げます。

わたしは宮さまのカナダでの足跡をたどるという試みを行いました。宮さまを追慕することは奨学生の責務であろうと思ったのです。また、久子殿下は折にふれて、宮さまが人々の記憶にあり続けてほしいという願いを述べておられます。その願いに少しでもお応えしたいという思いからのささやかな試みでもありました。

とは申せ、宮さまがクィーンズにご留学なさってからおよそ四十年もの隔たりがあり、残念ながら必ずしも多くの名残を見つけられた訳ではありません。さりながら、宮さまの当時のご留学生活に思いを馳せて、足跡をたどりますと確かに宮さまはこの地にいらしたのだと実感することができました。

この報告文はわたしのそのような試みを皆さまに共有して、ともに宮さまを追慕する良い機会であると思われますので、ぜひともそのようにさせていただければ幸いです。

カナダでの宮さまの足跡をたどる旅に皆さまをお連れいたしましょう。

宮さまの名残

クィーンズのライムストーンを基調とした美しいキャンパスとその周辺には高円宮殿下の名残がいくつかあります。まず、殿下を顕彰する記念プラークです。プラークはジョゼフ・S・ストーファー図書館(Joseph S. Stauffer Library)の暖炉読書室(Fireplace Reading Room)にあります。このプラークは、平成十六年(2004年)に久子殿下が日加国交樹立七十五周年を記念してカナダをご訪問された際にクィーンズに寄贈されたものです。また、その際に久子殿下が植樹された桜の木もキャンパスの中にあります。

クィーンズ周辺の市民公園(City Park)にはロイスさんが設けた殿下の記念石があります。ロイスさんというのは殿下が後述するグラジュエット・レジデンス入寮前にホームステイしていたハズレット家の奥さまで、殿下はロイスおばさん(Aunt Lois)と親しみを込めて呼んでいたそうです。ロイスさんの旦那さまであるジョン博士は平成十八年(2006年)に惜しくもお亡くなりになったようです。ロイス夫人にはぜひお会いしようとしたのですが、殿下がホームステイしていた頃の住宅からは引っ越したようで残念ながらお会いすることができませんでした。次にキングストンを訪れる際にはぜひとも直接お会いしてお話を伺ってみたく思います。

キングストンを離れますと、トロントにあるロイヤルオンタリオ博物館(Royal Ontario Museum)に高円宮記念日本展(Prince Takamado Gallery of Japan)がありまして、日本にまつわる品々が六百点も所蔵されています。

このように、キングストンとその周辺には殿下の名残が少なからずありまして、わたしは嬉しく思いながら折にふれて殿下を追慕いたしておりました。以下では、わたしのクィーンズでの経験を交えながら、宮さまのクィーンズでのご生活の様子を垣間見て参ります。

2 宮さまのお住まい

昭和五十三年(1979年)から五十六年(1981年)までをクィーンズにて過ごされた高円宮殿下は、グラジュエット・レジデンス(Graduate Residence)という学生寮に入寮されました。現在は名前とは裏腹に学部生しか入寮できませんが、当時この寮は大学院生にのみ提供されていましたので、学習院大学法学部ご卒業後に特別聴講生として授業を受けておられた殿下もこちらに入寮されたのだろうと思います。すべて一人部屋の学生寮とはいえ、一般の学生との共同生活は殿下にとって新鮮なものだったろうと推察します。

グラジュエット・レジデンス

3 宮さまの行付け

グラジュエット・レジデンスは、ジョン・ドイチェ大学センター(John Deutsche University Centre)、略してJDUC(ジェイダック)という建物の中に入っています。この建物の中には学生自治会の事務所があり、学生が課外活動などに使える部屋が多くそなえられています。他にも大学グッズ店などさまざまなものがありますが、特筆すべきはJDUCの地下にあるアンダーグラウンド(the Underground)という学生運営の学生しか入れないナイトクラブです。

高円宮ご夫妻は平成四年(1992年)にカナダを公式にご訪問されて、高円宮殿下はクィーンズ大学から名誉博士号を授与されました。その際のスピーチで、「わたしはアルフィーズの常連で、そこから学んだことは多かった」という旨のご発言をされました。アルフィーズ(Alfie’s)というのはアンダーグラウンドの当時の店名です。それまで神妙な様子だった聴衆は殿下の発言を聞くと、一時どよめき、それから会場は殿下のお声が聞こえぬほどの拍手喝采に包まれたということです。殿下がクィーンズでの学生生活に実によく馴染まれていたということと、いかに聴衆を退屈させないスピーチがお上手であったかということがよくわかる逸話ではないでしょうか。また、表敬訪問で二度拝謁した久子殿下もその度にアルフィーズのお話をしてくださいましたが、けだしそのスピーチが強く印象に残っているのだろうと思います。

わたし自身は、アンダーグラウンドよりもいま少し静かにお酒を楽しめるクィーンズパブ(Queen’s Pub)というお店に好んで通いました。クィーンズパブは殿下がご留学されていた時期には文字通りクワイエットパブ(Quiet Pub)という名前でした。殿下は人々と会話するのが非常にお好きだったと伺っておりますから、スピーチでアルフィーズと仰ったのは聴衆を楽しませるためで、本当はゆっくりと落ち着いて会話を楽しめるクワイエットパブの方が行付けだったのではないかしらとわたしは推し量るところです。蛇足ですが、クィーンズパブでのわたしのお気に入りはQPクラブ(QP Club)というサンドウィッチでした。高円宮殿下のお気に入りは果して何だったのでしょう。

クィーンズパブ。入店時に学生証を見せる

4 宮さまの授業

高円宮殿下はクィーンズでは英語とカナダの歴史、心理学などの講義を受講されたそうです。殿下は法学部ご出身ですので、法学の授業も受けようとしたらしいのですが、諸般の事情によりそれは叶わなかったそうです。心理学は、殿下の身辺警護を専属で担当していた王立カナダ騎馬警察の職員の希望に応じてご受講をお決めになったそうです。殿下の気さくなお人柄を窺い知ることができますね。

わたしは殿下と同じようにカナダについて学ぼうと思い、カナダ史(Canadian History)とカナダ政府論(Canadian Government)などの講義を履修しました。さらに、カナダ法入門(Introduction to Canadian Law)という法学の講義も受けることができました。法学の授業をやむなくお受けになれなかった殿下の代わりに受けるのだという思いで意気込んで履修しましたが、判例法主義的なカナダ法は多くの判例を読まねばならず苦労しました。殿下は英会話を重点的に鍛えたいと仰っていたようなので、通常の会話ではまず用いられないような難解な法律用語や言い回しをたくさん覚えねばならなかったという意味では、法学の講義をお受けになれなかったのは不幸中の幸いであったかもしれません。

わたしが受けた講義の中でとりわけ印象に残っているのはカナダ史です。カナダ史の教授曰く、「歴史的な町であるキングストンでカナダの歴史を学ぶことには格別の意義がある」とのことでした。その講義では、ファーストネーション(First Nations)やその他のマイノリティに対する差別を乗り越えて、いかにしてカナダの多文化主義が成立したのかが注目されました。いまや世界で最も多様的(diverse)で包括的(inclusive)な国家として名を馳せるカナダも、多大なる犠牲と度重なる自省の上に成り立っているのだということをこの講義を通じて学びました。きっと殿下もクィーンズでカナダ史の授業をお受けになり、大きな学びがあったものだろうと思います。

クィーンズでは経済学という自身の専攻から離れてカナダについて多くのことを学ぶことができました。クィーンズで学んだ多くの知識は、わたしの見識を広げてくれたように思います。とりわけ、カナダ史の講義で学んだ多文化主義の歴史はわたしの価値観に大きな変容をもたらしました。殿下にも直接、「クィーンズでの最大の学びは何でしたか」と伺うことができればと願うばかりです。気さくなお人柄の殿下のことですから、「それはアルフィーズに決まっているよ」と冗談めかして仰いそうな気もいたしますが、きっと殿下におかれても、クィーンズでの学びがおりおりの場面で活躍したことは間違いないでしょう。

6 まとめ

ここまで私のクィーンズでの経験を交えながら、高円宮殿下のクィーンズでのご留学生活について振り返って参りました。殿下はカナダを実に愛してくださった方でした。久子殿下との出会いもカナダ大使館であったことや絢子さまもカナダにご留学されたことなどに思いを致しますと、高円宮家とカナダの縁係の強さを感じずにはいられません。

これからも高円宮殿下を記念する本奨学金が継続し、高円宮家とともに日本とカナダの友好が末長きものとなることを心より願います。高円宮殿下が遊ばしましたほどには敵うべくもありませんが、わたし自身も日加友好のために能う限りの力を尽くしたく思います。

高円宮殿下はご生前、カナダでは何をされていたのかと尋ねられた際には「三年間、毎日、モルソンを飲んでいました」とお答えになっていたそうです。殿下のユーモアセンスにあやかるべく、そのお言葉をお借りしてわたしの留学を総括し、本報告文を締めくくりたく思います。わたしも一年間、毎日、ラバットを飲んでおりました。

参考文献

高円宮妃久子『宮さまとの思い出−ウィル・ユー・マリー・ミー?−』(2003)扶桑社

高円宮殿下伝記刊行委員会『高円宮憲仁親王』(2005)読売新聞社・中央公論新社

久能靖『高円宮殿下』(2003)河出書房

朝日新聞デジタル2014年6月23日

朝日新聞2003年11月18日夕刊