山野内在カナダ大使

日加協会の会員の皆さま、日本とカナダの関係を応援して頂いている皆さま、こんにちは。

いよいよ師走です。日々の雑事に追われる多忙な時期ではありますが、改めて、気持ちを落ち着けて自分の身の周りを見たいと思う今日この頃です。今年のオタワの初雪は、前回の「オタワ便り」の数日後でしたが、その頃、霧の濃い朝がありました。樹々の間から刺す陽光がとても美しく、思わずスマホで写真を撮りました。オタワの初冬です。御笑覧くださいませ。

オタワの初冬

(ご提供:山野内駐カナダ大使)

さて今回は、カナダと移民についてです。というのも、5年毎の国勢調査の最新調査が2021年に行われたのですが、調査の結果は論点ごとに随時発表されています。先日、移民に関連する調査結果発表されたのです。そして、その結果発表を受けて、移民に関連する世論調査も行われました。それらは、移民という観点から今のカナダという国のあり様を如実に示していて、極めて興味深いものがあります。是非、皆さまと共有したいと思います。

移民国家カナダの誕生

まず、移民国家カナダの成り立ちについて概観します。今のカナダを知る上で大切なので、少々お付き合い下さい。

カナダは若い国家ですが、歴史を紐解けば、先史時代以降の先住民族の時代、更にバイキングの往来がありました。そして1497年、英国王ヘンリー7世の特許状を持ったジョン・カボットが現在のニュー・ファウンドランド島、更にはラブラドール半島を発見して以降、欧州との関係が深まり、英仏の植民が加速。英国が欧州での七年戦争と北米でのフレンチ・インディアン戦争に勝利して、1763年のパリ条約で北米は全て英国植民地となります。やがて13州が独立戦争に勝利し、1783年のパリ条約でアメリカ合衆国になります。この過程で13州の王党派約5万人が英領北米植民地に移民します。

1812年戦争(米英戦争)の結果、米国と英領北米植民地の国境が確定。欧州では、ナポレオン戦争が集結し、不景気と深刻な失業問題が生じ欧州からの移民が増えて行きます。南北戦争の時期には、数万人規模の黒人が米国の奴隷制から逃れて英領北米殖民地へと国境を超えました。但し、英領北米植民地にたどり着いた黒人達も米国とさして変わらぬ差別を受けて幻滅したとの後日談があります。19世紀の現実だったのでしょう。

1867年7月1日、遂に大英帝国の自治領としてカナダ建国です。オンタリオ、ケベック、ノバスコシア、ニューブランズウィックの4州でスタートする訳ですが、この時の人口はおよそ330万人。人口は国力の要です。初代首相マクドナルドは移民政策に力を入れます。オンタリオ州では着実に増加しましたが、ケベック州に流入したフランス系移民は米国へと流出していました。4州で始まったカナダは西部に広がって行きます。マニトバ、サスカチュワン、アルバータ、更にブリティッシュ・コロンビアが漸次カナダに加わって行きます。1877年には日本人移民第1号となる永野萬蔵も来ました。正確な数字は不明ですが、1867年のカナダ建国から1892年までにカナダに来た移民は150万人に近かったと推計されています。しかし、大部分の移民はカナダに定住せず米国へと流れていったようです。主な理由は3つです。第1に、カナダ国内の交通手段が極めて限られていた事。第2に、移民先として米国や他の英領植民地の方が魅力的だった事。第3に、これが決定的とも言われてますが、西部の厳しい気候です。大草原での農業には大きな困難が伴いました。後年、激動の欧州情勢もあって、この地域へのポーランド、ウクライナ等からの多くの移民が流入しますが、それは農地改良、品種改良、農機具の進歩を待たねばなりませんでした。

歴代カナダ首相は、移民政策を進めて行きます。特に、フランス系最初の首相となったローリエ政権は、シフトン移民相主導で移民政策を大きく動かします。第1次世界大戦開戦の頃には、カナダの人口は600万人にまで増えました。

ここで、当時のカナダの移民政策に非常に重要な論点に触れたいと思います。それは「選択的移民政策」と呼ばれるものです。カナダ西部の開拓を進める上で欧州からの農業労働者を大量に入植させる際に、移民を審査・選別するものです。短期間でカナダ社会に適応・同化できると期待出来る人達が“好ましい”移民です。逆に、異なった文化・宗教・言語・習慣を持つが故にカナダに適応・同化が難しいと見なされた人達が“好ましくない”移民です。要するに、移民の選択は、あからさまな人種差別的基準に基づいたものでした。米・英・独・仏等の西欧・北欧諸国からの移民は“好ましい”として奨励される一方、東欧・南欧出身者は“好ましい”とは見なされていませんでした。まして、東洋系は問題外だったと言われています。第2次世界大戦中の日系人への仕打ちと同根です。

(注: 村井忠政「カナダ移民政策の歴史(上)―移民政策策定のプロセスとメカニズムー」を参考にさせて頂きました。)

そして、第1次世界大戦を経て、1931年ウェストミンスター憲章で、カナダは名実共に主権国家として発展。過去の教訓を学びつつ、現代に至ります。

2021年国勢調査と世論調査

上述のカナダ建国以来の移民政策を知った上で、カナダ統計局が実施した2021年の世論調査を見てみると、2つの点に気がつきます。まず、カナダが今も非常に積極的に移民を受け入れているという点。次に、もはや「選択的移民政策」ではなく、非常に開放的で多様性に富み包摂的であるという点です。例えば、カナダは、タリバーンが制圧するアフガンから2年間で4万人の難民受け入れを表明しています。現下のウクライナ危機に際しても、特別スキームも含め多数のウクライナ人を受け入れています。

そこで、2021年国勢調査です。カナダの総人口は、36,991,981人。前回2016年調査から約180万人(5.2%)の増加です。G7の中で最も急速に人口が増加しています。特筆すべきは、増加分の7割は海外からの移住者ということです。詳しく見ると、

  1. 過去5年間に入国した移民は約130万人。
  2. カナダの総人口のうち23%が海外で生まれている。
  3. 15歳以下のカナダ人の37%は、両親もしくは片親が海外で生まれている。
  4. 過去5年間に入国した移民の62%がアジア出身。
  5. 出身国別ではトップ3が、インド(18.6%)、フィリピン(11.4%)、中国(8.9%)。
  6. 近年入国した移民の95.8%が65歳未満。64.2%が25〜54歳の労働年齢。
  7. 移民の56.3%が経済移民、等々です。

実は、近年の移民の実勢がカナダの言語状況にも影響を与えています。この点は、別途の機会に報告させて頂きます。

そして、移民政策に関する2022年10月に行われたEnvironics 社の世論調査です。核心部分を共有させて頂きます。

問1 移民が多すぎると思いますか?

はい  27% / いいえ69%
更に、支持政党別の「はい」という回答は、
保守党  43% / 自由党  18% / 新自由党12%

問2 移民がカナダ経済に与えるインパクトは?

肯定的  85% / 否定的  12%

問3 カナダは人口を増やすために更に移民を増やす必要があるか?

はい  58% / いいえ38%

問4 カナダは人種的なマイノリティーを受け入れ過ぎていると思うか?

はい   24% / いいえ64%

問5 多文化主義はカナダのアイデンティティーにとって非常に重要なシンボルか?

はい  64%

この国勢調査と世論調査の結果は、半世紀ほど前にピエール・トルドー首相が掲げた「多文化主義」が今やカナダで実現しつつある事を示しています。共に英国植民地から出発した移民国家のカナダと米国が、今や移民を巡り異なる状況にある点は興味深いです。背景には、政治・経済・社会状況があります。カナダは若く、今この瞬間も、理想に燃え、国づくりの真っ最中なのです。

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