山野内在カナダ大使

日加協会の皆様、カナダ・ファンの皆様、日加関係の発展を応援して下さっている皆様、こんにちは。

早いものでもう9月です。夏至から2ヶ月余が過ぎて日没の時間も早くなって来ました。夏休み期間中オタワの街に溢れていた観光客もピークを過ぎたようです。郊外のみならずオタワの市街地でも徐々に紅葉が始まって来ています。

8月なのに秋の気配の雲

写真ご提供:山野内駐カナダ大使

さて、今回のオタワ便りはJETプログラムです。

JETは、皆様ご承知のとおり、外国語教育の充実と地域レベルの国際交流の進展を目的として、主に英語を母語とする大学卒業者を日本国内に招聘するプログラムです。JETの学生は、各自治体の小学校、中学校、高等学校、或いは国際交流担当部局に派遣され、2年間から最長で5年間にわたり、外国語指導助手(ALT)国際交流員(CIR)或いはスポーツ国際交流員(SEA)として実務につきます。

1987(昭和62)年度、4カ国848人の参加で始まったJETは、昭和、平成、令和と年々拡充され発展してきました。2023(令和5)年度は、50ヶ国から5831人(新規1995人プラス再任用3836人)が47都道府県18政令指定都市の約1000の地方公共団体へ派遣されています。累計では81ヶ国から77,355人(のべ17万2,618人)が参加している世界最大規模の国際交流プログラムです。

最初の記憶

全く私的なものですが、JETの開始についての記憶があります。私は1984年入省で、85年から2年間の米国研修を終えて本省に戻され経済協力局に配属されました。それが87年の夏でした。同期で非常に親しくしている岡庭健駐ケニア大使も英国での研修を終えて国内広報課に配属されていました。在外研修時代の出来事や初めての本省での担当官勤務について折に触れて語り合っていたのですが、彼が「今年からJETという凄いプログラムが始まるんだ。日本版フルブライトみたいなもので、きっと将来大きな影響を持つようになる」と目を輝かせて語っていました。それが初めて、JETプログラムを聞いた瞬間でした。

当時の私にとっては、JETと言えばポール・マッカートニーの名盤「バンド・オン・ザ・ラン」収録の大ヒット曲です。それと同じ名前で、クールな名称だと思ったのを憶えています。1980年代後半から90年代初頭にかけて、日本経済はバブル期で絶好調。世界GDPに占める比率が15%で、米国の貿易赤字の半分が日本という時代でした。貿易黒字対策と国際場裡でより大きな役割を担うべくODA予算も伸びていました。そんな中、省庁間の権限争いが絶えない霞ヶ関で、外務省、文部省、自治省が一致団結して、外国語教育と国際交流の一石二鳥の双方で全く新しい事業を立ち上げたのは画期的なことでした。

今から振り返ると、全く別の部署にいて直接JETを担当していない私でも、JETの意義は理解していました。米国研修中の友人もJETで栃木に滞在していました。が、率直に言って、ここまで大きく発展し、多方面に影響力を持つようになるとまでは思っていませんでした。正に、継続は力なり、です。

カナダ初登場

JET1期生は1987年、米英豪NZの4ヶ国から848人です。

カナダからは、翌1988(昭和63)年度からの参加で、121人が来日しています。従って、2023年は、カナダにとってJET35周年の節目の年になります。

JETカナダ1期生と大川大使 1988年7月29日

写真ご提供:在カナダ日本大使館

そこで、大使館広報文化班の書庫から当時の記録を引っ張り出して見てみると、カナダのJET初参加の様子が臨場感を持って伝わって来ます。ここに1枚の写真があります。1988年7月29日に、駐カナダ日本大使公邸で行われたカナダJET1期生の壮行レセプションの際の記念写真です。オタワからJETに参加する19人が大川美雄大使を囲んでいます。最後列の左から2人目に写っているのが、ローリー・ピーターズ大使です。在京カナダ大使館の広報文化担当参事官、駐ジャマイカ高等弁務官、ドバイ万博カナダ代表等を歴任し、現在は2025年大阪・関西万博のカナダ代表の要職にあります。

ピーターズ大使によれば、大学を卒業後、将来について思いを巡らせていた頃、JETプログラムというがあると聞いて応募し採用されたそうです。頭脳明晰で明朗な人柄ですから、当然と言えば当然です。1988年8月から2年間、仙台で外国語指導助手として仕事します。当初は、全く日本語が話せず、「かんぱい」の意味も分からなかったと言います。最初に覚えた日本語は「わたしはローリーです。カナダからきました。よろしくおねがいします」だったそうです。仙台の人々はそんなローリーを暖かく迎えます。カナダヘ帰国する頃には、日本語も堪能にして日本の文化も歴史にも大変に詳しくなります。そして、カナダ外務省に入省。外交官として歩み始めます。

JET大国カナダ

JETプログラムへのカナダの参加はプログラム創設2年目からで、初年度から参加した米英豪NZの後塵を拝しましたが、その後、カナダからの参加者はJETプログラムの拡充に伴い急速に拡大します。1988年度127人が翌89年度は290人、2001年度は1057人です。新型コロナの感染爆発で、2020年度は新規はゼロでした。2023年度は566人のカナダ人JET参加者が日本全国で活躍しています。

今やカナダは、JET大国であることが一目瞭然です。上述のJET参加者7万7,355人の参加者のうち、米国が3万9,297人で最大です。2位が英国の1万1,966人そして3位がカナダで1万118人です。以下豪州4,882人、NZ 3,533人です。米英加の人口を考慮すれば、カナダとNZのJETへの貢献は非常に大きいことが分かります。

そして、JETに参加し2〜5年間日本に滞在した経験を、個々人のキャリア構築、更には日加間の友好親善の増進を含め様々な形で共有し活かしていく観点からは、同窓会の組織化が非常に重要です。全世界では、18ヶ国に54支部があり2万5,134人がJET同窓会のメンバーです。最大のJET同窓会組織は米国で、20支部で1万2,396人です。次がカナダで、7支部3,606人です。因みに豪州が5支部2,109人、英国は5支部2,001人と続きます。

日本の27倍の国土面積のカナダで、各地にJET経験者がいる事は、日加関係の一層の発展にとって貴重な土台を提供しています。上述のカナダJET1期生のローリー・ピーターズ大使をはじめ、外交、行政、ビジネス、文化・芸術、ジャーナリズム等々の多様な分野で活躍しています。ここオタワでは、カナダ外務省に多数のJET同窓生がいます。マクドナルド・ローリエ研究所ジョナサン・ミラー上級部長カナダ・ビジネス評議会トレヴァー・ケネディ副会長らがJET同窓生です。

そしてもう一人、JETとの関連で是非とも紹介したい人物がいます。アーメド・フッセン国際開発大臣です。先日、フッセン大臣を公邸に招待し夕食をともにして、日加関係を中心に非常に有意義な意見交換をしました。フッセン大臣は、ソマリアからの移民一世で、高校生の頃、親類を頼ってトロントに移住しました。成績優秀で、キングストンクィーンズ大学に進学。歴史学を専攻し、日本の明治維新についても勉強したそうです。そして卒業後、JETの試験を受け合格し、訪日の準備をしたそうです。が、日本への出発直前に大手企業からのオファーがあり、苦渋の決断でJETを辞退し、就職したそうです。「今でも、あの時、日本へ行っていたら、自分の人生はどうなっただろうと思う」と語ってくれました。私からは、「ほぼJET同窓生或いは名誉JET同窓生として、是非ともJETを応援して欲しい」とご述べました。フッセン大臣は、移民国家にして多様性と包摂性を重んじるカナダの象徴のような政治家です。そんな政治家がJETの試験を受け合格していたというのは、JETがカナダ社会に深く関わっている証だと思います。

JETカナダ35周年〜同窓会大会〜公館長表彰・レセプション

8月19日から2日間にわたって、オタワでJET同窓会カナダ全国総会が開催されました。JETカナダ35周年にして、新型コロナ後初の総会です。カナダの7支部の代表者19名が参加しました。JET同窓会カナダ全国代表は、在カナダ大使館の政務班の調査クラークとして日加関係に大いに貢献してくれているブランドン・ウォレス氏です。彼の采配の下、JET同窓生の間の一層の連携強化等について突っ込んだ意見交換が行われました。この会合には、オブザーバーとしてJETAA米国代表が参加。ジャマイカからも代表がオンライン参加しています。JETのネットワークの拡大は、JET同窓生の活躍の場を広げ、同時に日本との関係が深まることに繋がります。

JETAA支部一覧

写真ご提供: 外務省

このJETカナダの全国総会に合わせて、会合に先立つ18日(金)夕刻にJET同窓会オタワ支部の公館長表彰式を行いました。首都オタワには上述のとおり、多数のJET同窓生がいて、個々の同窓生が陰に陽に日加関係に貢献しています。加えて、約300人の会員を擁する同窓会オタワ支部は、オタワ日系人協会(OJCA)やオタワ市役所と協力して、「夏祭り」、日本語講座、各種の日本文化紹介を企画・実施して来ています。加えて、JETに関する広報や選考プロセスへの支援も行っています。その大きな功績を讃えて、シュワイブ・ジェッド支部長に表彰状を授与しました。また、来賓としてお招きしたヴィクター・オー上院議員・加日議連共同副議長からもユーモア溢れる中に大変に暖かい祝意を表して頂きました。また、同窓生代表としてお越し頂いたJETカナダ1期生のローリー・ピーターズ大使による、JETが人生を決定づける程のインパクトを持った旨のスピーチが大変に印象的でした。

公館長表彰

写真ご提供: 在カナダ日本大使館

表彰式の後のレセプションには、JET総会参加者に加えてオタワ支部の同窓生ら約100名が参加。好天に恵まれ、参加した皆さんはテラスで公邸の嶋シェフによるBBQ料理に舌鼓を打っていました。

JET同窓会レセプション 私の左側がピーターズ大使

写真ご提供: 在カナダ日本大使館

そして、このレセプションのアトラクションについて一言。実は、先月の「オタワ便り」で紹介させて頂いた音和太鼓と大使館バンドがコラボしました。East Meets West的なパフォーマンスです。まず、エレキ・ギターが歪んだ音色でハードにSmoke on the Water のイントロを奏でます。と、9小節目に和太鼓が重なり、和太鼓とエレキの合奏が16小節続くと、次の瞬間は音和太鼓が独奏します。一瞬のブレイクの後は、再びエレキと音和太鼓で「Every Breath You Take」を合奏、そしてビートルズの「She Loves You」へと雪崩れ込みます。リード・ボーカルは当館総務班の城野書記官、コーラスに山崎広文班長です。音和太鼓と大使館の協働で、JET35周年と公館長表彰に対する敬意と感謝の念をお伝えしました。

次の世代へ

実は、カナダの現代史において日本との関係で、1988年は非常に意義深いのです。この年、カナダ政府はリドレス合意によって第二次世界大戦中の日系カナダ人に対する非道な行為に対し総括して過去に区切りをつけた訳です。同じ1988年に未来志向のJETプログラムが始まったのは、非常に象徴的とも言えます。

新型コロナはJETにとっても試練の時期でした。が、日本との一層緊密な友好親善協力関係の増進に向けて、JETプログラムが進化し、未来のリーダー達を生み出して行くことを祈念しています。

(了)

文中のリンクは日加協会においてはったものです。

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