山野内在カナダ大使

日加協会会員の皆様、日本とカナダの関係に御関心をお持ちの皆さま。こんにちは。

地球温暖化の今日この頃です。日本は高温・高湿度の夏と秋だったと思います。が、11月になり、きっと過ごしやすい季節になったのではないかと推察します。オタワは例年に比べて暖かいようですが、紅葉も終わりつつある晩秋です。正に実りの秋を実感します。そこで、日加関係です。実りの季節に相応しい出来事が二つあります。是非、皆さまと共有したいと思います。

1. メラニー・ジョリー外務大臣の訪日

まず、ジョリー外相訪日です。新型コロナ感染爆発後、初のカナダ外相の訪日でした。実は、彼女にとって人生初の訪日。43歳の若き外相にして将来の首相候補とも目されています。この機会に私も用務帰国して、ほぼ全ての行事に同席しました。そして、一つ実感した事があります。それは、元々良好であった日本とカナダの関係ですが、ここに来て一層の発展を遂げ、今や日加関係は「新しい章」に入ったという事です。

現下の国際情勢は、ウクライナ危機、度重なる北朝鮮のミサイル発射、台湾等々の地政学的な難しさに直面しています。地球温暖化によって外交、ビジネスに関わる国際的規範も大きく変化しています。そんな状況で、日本にとってカナダとの関係の重要性が増しています。カナダにとっても、歴史的に欧州との強い結びつきが強く大西洋国家として発展して来ましたが、アジア太平洋地域との関係強化が重要になっており、日本との関係の一層の強化の必要性を認識している訳です。

メラニー・ジョリー・カナダ外務大臣と林芳正外務大臣

(source:外務省HP)

そこで今般の日加外相会談です。10月11日夕刻、外務省飯倉公館で行われました。まず、余人を交えず林・ジョリー両外相のみのテタテ会談、引き続き全体会談、共同記者会見、そして夕食会と非常に濃密な2時間半でした。日加二国間関係、インド太平洋情勢、自由貿易、環境政策等々の多岐に渡る論点をカバーしました。通訳を介さず、全て英語で行われました。これまで、様々な立場で数多くの外相会談に同席する機会がありましたが、間違いなく、最も素晴らしい外相会談の一つであったと思います。

そして、今般の日加外相会談の最大の成果は「自由で開かれたインド太平洋に資するアクション・プラン」の発表です。このアクション・プランは、次の6つの柱から成り、日加両国が共同で取り組む具体的な措置を記したものです。

  1. 法の支配
  2. 平和構築
  3. 国際ヘルス
  4. 自由貿易
  5. 地球温暖化
  6. エネルギー安全保障

注目すべきは、情報保護協定の正式交渉の開始です。カナダはファイブ・アイズの一角を占め、NATOメンバーでもあります。情報保護協定は安全保障の分野での日加間の協力の一層の進展の大切な基礎となるものです。

更に、3日間にわたるジョリー外相訪日の中で特筆すべきは、岸田総理表敬と在日米軍横須賀海軍施設視察です。国会開会中で極めてタイトな総理日程の中での表敬の実現は、日本政府の日加関係重視の証左と言え、そのメッセージは明確にカナダ側に伝わったと思います。

メラニー・ジョリー・カナダ外務大臣と岸田文雄総理大臣

(source:官邸HP)

横須賀海軍施設視察は、国連安保理決議第2375号に従った北朝鮮の瀬取り監視に関連するものです。カナダは、フリゲート艦「バンクーバー」と対潜哨戒機CPー140「オーロラ」を参加させる等極めて積極的に瀬取り監視に協力しています。私も同行し、関係国が緊密に調整・連携している様を拝見しました。自由で開かれたインド太平洋の実現に向けて、言葉だけではなく行動を持って示す日本とカナダのコミットメントが印象的でした。ジョリー外相は、インド太平洋への関与を深める外交方針を明確にしており、日加間の協力の大きな潜在力を実感した意義深い視察だったと語っていました。

なお、今般のジョリー外相訪日に先立つ形で、激動の国際情勢の下での日加関係深化の意味合いについて、グローブ・アンド・メイル紙に私見を寄稿しました(記事はこちら)。

寄稿では、インド太平洋地域及び世界において法に基づいた国際秩序が脅かされる中、日本とカナダの揺るぎないコミットメントがインド太平洋地域そして世界の状況の改善に貢献することを記しましたが、同紙としてもインド太平洋に対する関心を高めている一端を示すものだと思います。

2. 渕上隆信 敦賀市長のオタワ訪問

次に、渕上市長のオタワ訪問です。

皆様ご存知のとおり、福井県敦賀市は日本海に面した天然の良港を擁する要衝の地です。古くは大宝律令にその名が記されています。そして、明治時代以降、日本とヨーロッパを結ぶ日本の玄関でした。欧州から、ロシアに入りシベリア横断鉄道で極東ウラジオストックまで来ると、日本海を渡り敦賀に到着する訳です。

第2次世界大戦が始まり、ナチのユダヤ迫害が始まった際に、在カウナス日本領事館の杉原千畝発給の通過ビザで数千人のユダヤ難民が、ナチから逃れて、このルートで日本に到達。そして、最終目的地に向かって行った訳です。その際、最初に踏んだ日本の地が敦賀だったのです。着の身着のままのユダヤ難民達に、子供から大人・老人まで敦賀市民は実に優しく敬意を持って接して、傷心のユダヤの人々を支え励ました多くの逸話が語り継がれています。

敦賀には、このヒューマニズム溢れる出来事を次の世代に語り継ぐと同時に広く世界に発信するための「人道の港」ムゼウムという博物館があります。直近は新型コロナで来館者は減っていましたが、コロナも収束局面に入り、再びユダヤ関係者を含む訪問者が世界各国からムゼウムにいらっしゃっています。

資料館「人道の港敦賀ムゼウム」

(source:敦賀ムゼウムHP)

渕上市長は、そんな敦賀とユダヤの関係を多くの人々に知ってもらうために、今般、ニューヨークとオタワを訪問されました。実は、イスラエル国外で最大のユダヤ・コミュニティーが在るのが米国、第3位がカナダなのです。オタワでは杉原ビザで救われたホロコースト・サバイバーを両親に持つジュディス・クローリーさんとその娘のコリーナさんと面談されました。私も同席しましたが、改めて杉原ビザの持つインパクトの大きさに胸が打たれました。

ジュディス・クローリーさんと渕上市長

(source: 敦賀市)

そして、クローリーさん母娘とホフマン駐カナダ・イスラエル大使ご夫妻を公邸にお招きして夕食会を催しました。ユダヤ・コミュニティーと日本との友情強化に向けた色々なアイデアが出て極めて有意義でした。

翌日、渕上市長一行は、更に、オタワ市内のホロコースト・モニュメントも訪れました。戦争博物館の斜向かいの敷地に設置されていて、極めて印象的な意匠です。カナダの元駐ノルウェー大使でホロコースト・サバイバーの孫であり、ホロコースト教育・奨学金センター理事及び国際ホロコースト記憶同盟カナダ代表でもあるアーター・ウィルチンスキ氏が案内をしてくれました。このモニュメントは、移民国家カナダとして、多様性と自由を重んじると同時に過去の過ちを決して忘れず繰り返してはならないという決意を示しています。

(ご提供:山野内駐カナダ大使)

なお、渕上市長はオタワ滞在中にヒル・タイムズ紙のインタビューを受け、外交面に大きく掲載されました。(記事の冒頭のみはこちらに掲載

(写真ご提供: 山野内駐カナダ大使)

改めて、カナダにおいて日本外交を重層的に展開していくことの大切さを認識した次第です。

Ottawa / オタワ

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