山野内在カナダ大使

5月の声を聴き、オタワの遅い春も爛漫となっています。公邸の新緑もチューリップも素晴らしいです。私事ですが、着任から1年が経ちました。日々、カナダと日本との関係で新しい発見があり、日加関係の幅の広さと奥深さも感じています。

今回の「オタワ便り」は、そんな日本とカナダの深い繋がりを実感した一つのイベントについてです。オタワ・アート・ギャラリー(OAG: Ottawa Art Gallery) で行われている日系カナダ人画家、ノーマン・タケウチ画伯の回顧展です。

この回顧展は、2023年4月1日から8月27日までの5ヶ月間にわたり、OAG3階にあるメイン展示場(Salle Spencerville Gallery)で開かれています。標題は、Shapes in Between: Norman Takeuchi - A Retrospectiveです。

OAG展示「Shapes in Between: Norman Takeuchi - A Retrospective」

写真ご提供: 山野内駐カナダ大使

ノーマン・タケウチ画伯

ノーマン・タケウチ画伯は、1937年にバンクーバーで日系移民の父親とバンクーバー生まれの母親の下に3人兄弟の長男として誕生します。1941年12月8日に太平洋戦争が始まると、カナダ政府は翌42年1月8日に戦時特別法を発令。2月7日には、内閣条例第365号を発令し、ブリティッシュ・コロンビア州の太平洋岸から100マイル以内を「保護地区」と定め、ここに住む日系カナダ人をキャンプに強制収容する措置をとります。後年、日系カナダ人のリドレス運動の成果で、マルルーニ政権は1988年に公式にこの措置が誤りであったと謝罪し、賠償金を支払うことになります。幼きノーマン少年の目と心に家族と共に家を追われた経験は焼き付けられ、後年、アーティストとしての重要なモチーフの一つとなっていきます。

さて、ノーマン少年は、長じてバンクーバー美術学院(現在のエミリー・カー美術大学)に学びます。1961年に卒業すると、まず短期間、広告代理店の仕事に就きます。その後、ロンドンに転居し、画家としてのキャリアを歩み始めます。

ノーマン青年は、1年余のロンドン生活からオタワに戻り、地歩を固めて行きます。1965年には、「インテリア・ウィズ・トゥ・ウィメン」がカナダ国立美術館第6回ビエンナーレ展作品に選ばれます。重要な節目が1966年4月23日です。生涯の伴侶マリオン・フルーガーとの結婚です。そして、カナダ芸術評議会の資金援助を得て再びロンドンに赴きます。今度は新婚の二人でロンドン生活。当時のロンドンは、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ツイッギーら時代の最先端を行く世界で最もヒップな街です。大英帝国の歴史と王室と前衛芸術が同居する1960年代の疾風怒濤のロンドンは、若きアーティストにとって刺激と霊感の宝庫だったに違いありません。

ロンドンから戻り、新進気鋭のグラフィック・アーティストとして頭角を顕すノーマンは、1967年のモントリオール万博のデザイナー・チームの一員に選ばれます。そして、1970年大阪万博の際には、カナダ・パビリオンのデザイナーの一人に就任。その時の作品の一つが、カナダ館に設置され話題をさらった『スーパー・バス』です。バンクーバーのサンデー・サン紙サンデー・マガジンの表紙も飾っています。サイケデリックに彩られたスクールバスからは、カナダのロック・ミュージックが大音量で流され、万博会場でカナダの若き世代を鮮やかに描き出しました。

スーパー・バス』、ノーマン・タケウチ画伯、マリオン・タケウチ等

写真ご提供: 山野内駐カナダ大使 / Courtesy of Norman Takeuchi

また、特筆すべきは、大阪万博の仕事で、ノーマンは生まれて初めて父親の故国・日本を訪れ、半年間滞在したのです。戦時中のキャンプの記憶もあり、自己のアイデンティティーから、意識的か無意識かは別として、“日本”を排除してカナダ人として生きて来たノーマンにとって、初めて“日本”と向き合う機会となりました。その時の内なる化学変化こそ、その後の飛躍の礎になったのだと指摘されています。

Self-Portrait - Memories」, 1979

Courtesy of Norman Takeuchi

OAGでの回顧展

そこで、今回の回顧展です。

まず、回顧展の会場〈OAG: オタワ・アート・ギャラリー〉について。1988年に開館したオタワ市が運営するギャラリーで、展示はカナダの現代美術に特化しています。入場無料で、広く市民に開かれています。1000を超える常設展示に加え、今回のノーマン・タケウチ回顧展のような特別展も随時開催しています。また、地元オタワのアーティストの作品を紹介するプログラムも実施しており、地域社会との密接な関係を築いています。さらに、ワークショップ、講演会、コンサート、映画祭等のイベントも開催しています。幅広い層の人々に向けてアートに触れる機会を提供しています。

ノーマン・タケウチ回顧展は、OAGで開催される初めての日系カナダ人の大規模な特別展です。しかも、超モダンな現在の建屋が完成したのは2018年春で、直後に新型コロナの感染爆発が起こった事で、パンデミック以来初めての1人のアーティストに特化した大規模展示ともなりました。最初期の習作、作品から最近のものまで、全部で83作品が展示されていますが、多彩なスタイルで主題も多様です。全体が次の6つのテーマに整理されています。

  • 抽象
  • グラフィック・アート
  • 静物画
  • 社会の不正義との対立
  • 日本文化の遺産
  • 強制収容キャンプの記憶

チーフ・キューレイターを務めたキャサリン・シンクレア女史は、ノーマン・タケウチ回顧展の準備を4年前から始めています。多彩なスタイルで描かれた膨大な作品群に直接触れる事はアーティストの本質に迫る得難い体験であると同時に、代表作と優れた作品にも優先順位をつけて展示作品を絞り込む作業は非常に困難な選択の連続だったと振り返っていました。そして、全ての準備が整い回顧展が始まる事について「本当に誇らしく思う」と満面の笑みで語りました。

何度か足を運び、回顧展の作品群を観て実感するのは、ノーマン・タケウチが感じ取った激動の時代が作品に絶妙に投影されている事です。観ていると時間を忘れて引き込まれていきます。サイケデリックでポップな作品から社会の矛盾を告発するシリアスな作品まで、それぞれの時代の空気が伝わってきます。1975年の「フィガー・ウィズ・スティル・ライフ」は、一つの作品の中に形象美術と鋭角的な抽象画が融合した力強い作品です。日光浴をしている女性は、ローリング・ストーンズ「メイド・イン・シェイド」を連想させます。

フィガー・ウィズ・スティル・ライフ」, 1975

Courtesy of Norman Takeuchi

多様な技法とスタイルには、コラージュの手法で色鮮やかに描いたものも、極彩色の印象的なアクリル画も、モノクロもあります。モノクロの作品も、白と黒の間の無限のグラデーションが繊細な表現を生んでいます。特に北斎の赤富士をモチーフに歴史を刻んだ作品「ビュー・オブ・マウント・フジ・フロム・レモン・クリーク」は、印象的です。日系カナダ人が戦時中に経験した辛酸が滲んでいます。私が「収容キャンプの記憶」のセクションを観ていた時、ノーマンは私に、「ある種の主題は、間接的に表現する方が強い印象を残す場合がある」と説明してくれました。

ビュー・オブ・マウント・フジ・フロム・レモン・クリーク」, 2012-2018

Courtesy of Norman Takeuchi

また、この回顧展には、ノーマンの作品制作の過程を示すアイテムも効果的に展示されています。モチーフになり得る浮世絵を貼ったスクラップブックには、多くの付箋紙が貼ってあります。使い切って短くなった多数のB3やB4の鉛筆の入った小箱は、ノーマンの緻密さを感じさせます。習作のスケッチを見れば、ノーマンの描く美しい線には迷いが無く、見ていて清々しいです。一つの作品が完成するまでのプロセス自体もアートなのだと実感します。

使い切って短くなった多数の鉛筆の入った小箱

写真ご提供: 山野内駐カナダ大使

特別レセプション

ノーマン・タケウチ回顧展は、日加間の文化交流という意味でも、カナダ国内の移民の歴史という意味でも、非常に意義深いものがあります。そこで、4月13日、この回顧展の成功を祈念して、日本大使館がOAGと共催し、OAGのイベント・スペースで特別レセプションを行いました。この日を選んだのには明確な理由がありました。大阪・関西万博の開会日が2年後の4月13日だからです。上述のとおり、ノーマンにとって1970年の大阪万博は日系カナダ人としてもアーティストとしても大きなインパクトを持ったイベントでしたから、大阪万博開催のちょうど2年前の日に思いを込めたのです。カナダ政府関係者には、2025年大阪・関西万博でも再びノーマンに役割を果たしてもらえないかとのアイデアもあると聞いています。期せずして同じ日に、大阪では岸田総理も参加して大阪・関西万博起工式がとり行われたのも、何かの縁を感じます。

April 14 Tweet by Japan Embassy Canada

写真ご提供: 山野内駐カナダ大使

特別レセプションは日本文化紹介の絶好の機会でもありますので、公邸の嶋シェフにお願いし、レセプション参加者に寿司を握ってもらいました。ネタの仕込み等前日から準備して、当日は4百貫を出しましたが、瞬く間に全てが食されてしまいました。嶋シェフの腕と日本食の圧倒的な人気を証明しました。オタワ市民にとって日本文化が一層身近なものになって来ている事を実感した次第です。

この特別レセプションには、オタワ市長のマーク・サトクリフ氏にも来賓としてお越しいただき、心暖まるスピーチを頂戴しました。

私も、この特別レセプションの主催者として、簡単な挨拶をしました。駐カナダ大使としての視点で次の3点を指摘しました。

① 今年は、日加両国が1928年に外交関係を樹立して95周年の節目である。1931年のウェストミンスター憲章で正式に主権国家となる3年前の事で、日加関係の奥深さを実感する。しかも、本日は、2025大阪・関西万博開会の2年前だ。この特別な日にこのレセプションが行われるのは非常に意義深い。

② ノーマン・タケウチ回顧展に出品されている作品は非常に多彩で多様である。個々の作品には憤怒や哀感もあるが、全体を通じては未来への希望がある。時代に呼応し、スタイルを大胆に変え、個性的な表現を追求する姿は、マイルス・デイビスパブロ・ピカソを連想させる。

③ ノーマン・タケウチ画伯は3つの「橋」である。

第1に、過去と現在と未来を結ぶ「橋」。

第2に、現実の世界で起こっている出来事と作品を観る鑑賞者を結ぶ「橋」。

第3に、日本とカナダを結ぶ「橋」。

そして、ノーマン・タケウチ画伯とその作品群を誇りに思うとともに、回顧展の成功と日加間の友情の一層の深化を祈念する旨述べて、挨拶を締めくくりました。

1970年大阪万博から55年を経て2025大阪・関西万博が開催される訳ですが、その機会も含めて、今後、ノーマン・タケウチ画伯の作品群が日本でも展示されて欲しいと願ってやみません。作品一つ一つの素晴らしさは勿論の事、歴史に鍛えられた日本とカナダの深い絆を、1人のアーティストを通じて、一人でも多くの日本人に知ってもらいたいと思います。

(了)

Ottawa / オタワ

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