山野内在カナダ大使

日加協会の皆様、日加関係の発展を応援していただいている皆様、こんにちは。

オタワは、今、短かくも美しい夏の真っ最中です。G7広島サミットからNATOサミットと続いた首脳外交も一段落し、予算関係の主要法案を可決して、議会も夏季閉会中です。7月は、1日がカナダ建国のカナダ・デイ、4日が米国の独立記念日、14日がフランス革命のバスチーユ・デイと大きな祝祭イベントが続きました。

そんな中、多様性と包摂性の国、カナダの首都オタワでは、日本の文化も活発に紹介されていて、日系コミュニティーの存在感を示しています。そこで、今回は、ここオタワで30年余にわたり活動を続ける和太鼓グループ「Oto-Wa Taiko(音和太鼓)」についてです。

創世記

音和太鼓は1989年10月に設立されました。オタワ在住の日系カナダ人のデイビット・オークラ、アキラ・ワタナベ及び新移住者のアキコ・タケムラの3人によって創設されました。

創設メンバーにして、現在も財務担当兼インストラクターのアキラ・ワタナベ氏(以下「アキさん」)は、当時を振り返って懐かしそうに語ります。

「和太鼓との最初の出会いは、1977年です。在京カナダ大使館の科学技術アタッシェとして東京で勤務している時に、鬼太鼓座の公演を観る機会がありました。圧倒的な演奏に大変感激したのを今も鮮明に憶えています。

そして、12年後の1989年にオタワ初の和太鼓グループを創設。非常に嬉しかったのです。が、全く何も無いところから始めた訳です。本物の和太鼓は非常に高価でしたし、演奏も未熟でした。最初は、古いタイヤを叩いて練習したものです。」

音楽は、国境・民族を超えた普遍的な言葉ですが、特に太鼓は音楽の核心であるリズムそのものです。重低音の大太鼓から、軽やかな小太鼓、さらには鈴まで多彩な音色が織りなすリズムは、腹に響き身体に直接作用します。考えてみれば、打楽器は、声と同じく人類最古の楽器です。現代ジャズの巨匠ハービー・ハンコックは「ドラムこそ最も重要な楽器だ」と喝破しています。全ての民族に、それぞれ固有のリズムがあり、独自に発展した打楽器群があります。そんな中で、和太鼓は独自に発展し、他民族のドラムとは一線を画すユニークな存在です。グラミー賞を受賞した鬼太鼓座出身の中村浩二はじめ、優れた太鼓奏者達が国際的に大活躍しています。

首都オタワに和太鼓グループが創設された意義は非常に大きかったと思います。

歴史的背景

音和太鼓の誕生の背景の一つには、1988年9月22日、全カナダ日系人協会会長アート・ミキ氏とブライアン・マルルーニ首相との間で交わされた戦時補償問題の合意があると思います。若い国家カナダの現代史の暗い一面でしたが、日系コミュニティーが取り組んで来た長年のリドレス運動の成果です。日系カナダ人が舐めた理不尽で筆舌に尽くし難い辛酸へのカナダ連邦政府の公式の謝罪と償いです。これにより、日系コミュニティーが未来志向の活動へと向かうきっかけになったとも言えます。

リドレス合意の翌年、音和太鼓が設立されました。オタワ・リドレス委員会の委員長を勤めていた創設メンバーの1人アキさんは、この点について、「日系コミュニティーの中ではリドレス運動に対して積極的な人々と慎重な人々がいました。敢えて、日本文化を推進する事に躊躇を覚える人々もいました。リドレス合意以前から、オタワには柔道や民謡といった日本文化を伝える取組はありましたが、リドレス合意の後、日系コミュニティーの団結が深まり、日本文化を誇りをもって伝えようという機運が高まったと思います。」と語っています。

名は体を表す

全ての音楽集団や会社、さらには個人にとって、名前は非常に重要です。親なら誰でも我が子に素晴らしき人生を願って最高の名前を授けます。ビートルズ(Beatles)は、音楽のビート(beat)とカブトムシ(beetle)を合わせて造語した、最先端のロックな名前でした。アマゾンは、憶えやすく、アルファベット最初のAで始まり、大河アマゾンの如く大きな流れとなるとの野心を表しました。

音和太鼓の命名も素敵です。発案者はアキコ・タケムラさんでした。発音としては、地元オタワに非常に近く、親しみが沸きます。同時に、漢字の意味としては、sound & harmony です。響きも意味も、その実態をちゃんと反映しています。しかも憶え易く、これ以上の名前は無いと思います。

音和太鼓の離陸

音和太鼓は、1989年10月に創設されると、まず古タイヤを叩いて練習を始めます。兎に角、しっかりとした基礎を身につける事が極めて重要です。そこで、モントリオールの和太鼓グループ“嵐太鼓”のテリー・ヤスナカさんとメイ・ヤスナカさん御夫妻とマサ・ムラネットさんが、毎週末オタワに来訪して、懇切丁寧な指導をしてくれたそうです。アキコ、デイヴィッド、アキの3銃士は、古タイヤで基礎を学び、レパートリーを増やし、徐々に腕を上げていきます。

そんな音和太鼓に、初めて人前で演奏する機会が訪れます。

1990年7月1日の日曜日、カナダ・デイです。エリザベス女王とマルルーニ首相コンフェデレーション・パークで市民と交流し、公園内を散策する道沿いでの演奏です。古タイヤで練習を重ねた音和太鼓のメンバーの晴れ舞台です。実は、この段階では、太鼓を持っていなかったために、“嵐太鼓”から借りた太鼓で演奏したのです。

1990年 エリザベス女王の御前

写真ご提供: 音和太鼓 アキラ・ワタナベ氏

アキさんは、32年前の初パフォーマンスを振り返って、「6月30日の土曜日に、“嵐太鼓”から借りた太鼓で叩き方を教わりました。それが生まれて初めて本物の和太鼓を叩いた瞬間でした。その翌日の日曜日がカナダ・デイで、女王陛下の前で叩きました。技術的には未熟でしたが、日本文化を紹介出来た事は非常に誇らしく、忘れられません。」

創設から未だ1年にも満たず、その前々日まで古タイヤでしか練習したことの無かった音和太鼓が、カナダで最も重要な日に、国家元首であるエリザベス女王の前で太鼓パフォーマンスを披露した訳です。

極めて劇的な音和太鼓の離陸です。

飛翔

1990年秋、音和太鼓は、本格的な和太鼓楽団へと脱皮するため、手作りで和太鼓をつくり始めます。安く入手したワインやウイスキーの樽を再利用して太鼓の胴体として、そこに牛の皮を貼るのです。牛の皮を極限まで引っ張るために、自動車用のジャッキを使ったといいます。1990末までに4個の手作りの太鼓を揃えます。勿論、太鼓スタンドも手作りです。楽器の充実は、実力の充実に繋がっていきます。

和太鼓〜手造りの最中 右が若きアキさん

写真ご提供: 音和太鼓 アキラ・ワタナベ氏

重要な転機は、1996年に訪れます。世界的な和太鼓グループである“鼓童”のリーダー、藤本吉利氏が、バンクーバーエドモントンモントリオール等カナダ各地で和太鼓ワークショップを行ったのです。オタワでもワークショップが開催され、音和太鼓のメンバーは、和太鼓のスーパースター藤本吉利氏から、実に多くを学びました。その際、藤本氏一行はアキさんの自宅に宿泊。夜を徹して和太鼓の真髄について大いに語ったといいます。それは、和太鼓を究めていく上でプライスレスな機会だったに違いありません。

鼓童藤本さんとアキさん

写真ご提供: 音和太鼓 アキラ・ワタナベ氏

そして、音和太鼓は評判を確立し、活動の幅を広げて行きます。オタワの街における文化交流にとって不可欠の存在となり、そのパフォーマンスは高く評価されています。

創設から20年を経た2009年7月。この年、天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)がカナダを公式に御訪問されました。オタワでの重要な日程のひとつが、大使公邸における両陛下による日系人代表及び在留邦人代表の御接見でした。7月5日(日)午後5時、宿舎の総督邸(リドー・ホール)から大使公邸に到着された両陛下を歓迎するため、公邸前庭で音和太鼓が演奏しました。その時のメンバーの1人カレンさんは、「両陛下がしばらく立ち止まって非常に熱心にご覧になっていらした姿が忘れられません」と述べています。

表彰

創設30周年の2019年には、音和太鼓は団体として在外公館長表彰の栄誉に浴しています。私の前任の川村泰久大使は、表彰に際し、次のとおり述べています。

音和太鼓は、オタワ市内において30年に亘り和太鼓文化の普及に取り組み、数々の太鼓パフォーマンスを通じて、多くの人たちにその独特の音楽を楽しんでもらってきました。音和太鼓のひたむきな姿勢が、当地の人々の日本文化への関心を高めるきっかけとなり、日本とカナダ両国の繋がりを深めてきました。」

簡にして要の功績です。

ここでさらに指摘しておきたいのは、創設者の1人であるアキさんは、3つの功績をもって2007年の段階で外務大臣表彰をされていることです。第1に、カナダ外務省の職員・在京カナダ大使館の科学技術アタシェとして、日加科学技術協定の締結に甚大なる貢献があった事。第2に、日系カナダ人のリドレス運動で88年合意に大きく貢献した事。そして、第3に、音和太鼓の創設の一翼を担った事です。第1と第2の功績だけでも、表彰に値します。

注目したいのは、この段階で創設から18年が経っていた音和太鼓ですが、アキさんの表彰の積極的理由となる程に、評価の確立した団体となっていたという事です。

伝説的パフォーマンス

音和太鼓は、今年で創設から34年。どんな団体でもアップ・ダウンはあるものですが、一貫した強い意志でグループを維持し、技量を磨き、オリジナル曲をつくり、よりパワフルな楽団へと進化して来ました。カナダの首都オタワの多様性と包摂性を体現する文化活動を続けています。

2023年2月13 日に天皇誕生日を祝賀する我が国のナショナル・デイ・レセプションが行われましたが、そこでは、先住民の伝統的ドラム集団であるスピリット・ウルフ・シンガーズ音和太鼓に共演してもらいました。カナダの歴史と多様性に対する心からの敬意を、言葉ではなく、実際の行動で示す趣旨です。一見すると随分と異なるように思える和太鼓と先住民ドラムですが、心臓の鼓動を彷彿させる響きが共鳴し合い、我々は言葉を超えた深いところで繋がっている事を示しました。このレセプションに参加し、このパフォーマンスを観た方々からは、「感動した」「自然に涙が溢れて来た」等々のコメントが今も寄せられています。

2023年2月 ナショナル・デー天皇誕生日祝賀レセプション
音和太鼓と「スピリット・ウルフ・シンガーズ」との共演

写真ご提供: 山野内駐カナダ大使

大変に好評を博した和太鼓と先住民ドラムの伝説的パフォーマンスは、両グループが多忙な中、何度もリハーサルを重ねて呼吸を合わせる事が出来るようになった努力の賜物です。両グループの真摯な鍛錬が、リズムの奥に潜んでいた人類の記憶を呼び覚ましたのだと思います。

アキさんは、「これまでの音和太鼓のパフォーマンスの中で、疑い無く、最もインパクトのある演奏だったと思います。レセプションには多数の閣僚・連邦議員等が来られて、我々の演奏を真剣に聴いてくれていました。日本文化、先住民文化を直接アピールできる素晴らしい機会でしたし、多数の来賓の前で演奏できた事を本当に誇りに思います。」と述べています。

 

更なる前進

最近では、ユニクロが初めてオタワに出店するに際しての開店セレモニーでも花を添えました。

実は、現在、日本大使館とオタワ太鼓の共同プロジェクトの準備が進んでいます。昨年8月の「オタワ便り」第4回で紹介した地元の野球チーム、オタワ・タイタンズの関係です。今年も、日本とカナダの野球を通じた友好親善を一層進めるべく、8月26日のホーム・ゲームの際に「ジャパン・ナイト」が行われる予定です。そこで、音和太鼓と大使館バンドが共演するのです。“East Meets West in Ottawa”という事で、オタワ球場に於いて、エレキ・ギター、ベース、和太鼓の編成で往年のロックの名曲を演奏します。選曲と基本的な進行を確認した上で、先日、初めてリハーサルをしました。手応え十分です。

音和太鼓と大使館バンドの練習風景

写真ご提供: 山野内駐カナダ大使

日加関係の一層の発展のための重要な礎は、国民・市民レベルでの相互理解・信頼・尊敬です。音和太鼓は、その大切な一翼を担っています。創設以来、600回を超えるパフォーマンスを行っています。新型コロナの感染爆発で活動が全くできない時期もあった訳ですが、平均すれば毎年20回、1ヶ月に1〜2回のパフォーマンスです。日本とカナダの間の架け橋として、見事な役割を果たしています。また、積極的にワークショップも行っていて、太鼓を通じた日本文化への理解促進と和太鼓そのものの普及も目指しています。新規メンバーは、いつでも大歓迎との事です。

今後の更なる発展を祈念しています。

(了)

文中のリンクは日加協会においてはったものです。

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