カナダと日本酒

山野内在カナダ大使

日加協会の皆様、カナダファンの皆様、日加関係の発展を応援して下さっている皆様こんにちは。

12月の声を聞くと、洋の東西を問わず、日々の生活が慌ただしさを増します。“師走”とは良く言ったと思います。オタワにおいても、雪化粧が日々濃くなるとともに、クリスマス・ムードが高まっています。2023年もあと少しで終わるんだなと、感慨が湧いて来ます。 早いものでもう9月です。夏至から2ヶ月余が過ぎて日没の時間も早くなって来ました。夏休み期間中オタワの街に溢れていた観光客もピークを過ぎたようです。郊外のみならずオタワの市街地でも徐々に紅葉が始まって来ています。

11月下旬 公邸の寝室から見える庭も雪化粧しています

写真ご提供:山野内駐カナダ大使

はじめに〜酒の歴史

今回の「オタワ便り」は、カナダと日本酒です。

まず、日本酒について。2021年7月に国税庁が公表した調査報告「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」が大変に興味深いです。この調査報告によれば、日本列島における酒の発祥は6,000年ほど前と推定されています。縄文中期の遺跡から出土した土器の底に残っていたヤマブドウの種子からの果樹酒の存在が根拠です。

国税庁報告

写真ご提供:山野内駐カナダ大使

そして、日本人の主食である米を原料にした日本酒という点では、中国大陸から水稲技術が伝来した縄文晩期から弥生前期頃に起源があると思われます。当時は“口噛み酒”です。米を噛むことで、口の中のアミラーゼがでんぷんを糖に変えていました。祝祭の際にはコメと酒が神前に供えられたようです。かの『魏志倭人伝』には、倭人は「人性酒ヲ嗜ム」とあり、葬送の時に「喪主哭泣シ他人就ヒテ歌舞飲酒ス」と記されています。

4世紀頃、麹菌を使う技法が確立しました。5世紀頃、「播磨国風土記」には“清酒(すみさけ)”の記述があります。そして、平安時代には、宮廷に造酒司(みきのつかさ)が組織され、行事用の酒が作られ始めます。室町時代、京都には小規模な酒屋が数百件も生まれました。また各地の寺院の僧坊が酒造りの技術を牽引して行きます。更に、時代が下ると安定した品質の酒を造る技術が進みます。

江戸時代中期、生類憐れみの令で知られる5代将軍徳川家綱の頃までには、“三段仕込み”が広がり、杜氏制度からなる酒造業が企業化して行きます。現在とほぼ同じのスタイルの日本酒製造が確立しました。

ことほど左様に、酒は日本の歴史、或いは日本の文化そのものです。日常生活の中の不可欠な要素です。従って、様々な制度が規定されて行きます。税制もその重要な要素です。明治8年には、幕府時代からの諸制度を廃止し、酒類税則等を定め、営業税と醸造日本税の2本立てになります。明治37年には、大蔵省醸造試験場が設立され、科学的知見も集積されていきます。様々な制度等は、時代の変化や技術の進化に応じ、整備され、近代化されて現代に至ります。

目指せ世界のマーケット〜無形文化遺産〜輸出目標2030年5兆円

長い歴史の中で培われて来た日本酒は、従来、主に国内で消費されていました。が、実は、国内での消費は伸び悩んでいるのが実情です。一方、国際社会における日本の存在感とグローバル化の進展で、日本食そして日本酒に関する評価と関心が高まって来ました。

特に2013年12月4日 「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されました。これがきっかけとなり、世界各地で日本食レストランが増え日本酒の輸出も徐々に増え始めます。

とは言え、グローバルには未だ日本酒の認知度は高くなく、更なる市場の拡大と開拓を目指し、オールジャパンでの日本酒の輸出促進が始まります。日本酒造組合中央会や全国卸売酒販売中央会が中心となって、2014年に日本酒輸出協議会が発足します。

そして、2019年4月には「農林水産物・食品の輸出拡大のための輸入国規制への対応等に関する関係閣僚会議」が設立されます。勿論、日本酒も含まれています。極めて霞ヶ関的な長い名称ですが、関係省庁が本気になり、民間セクターと緊密に意思疎通し、動き出します。

日本政府は、新型コロナ感染爆発の最中でしたが、2020年11月30日の閣議で、農林水産・食品の輸出2025年2兆円、2030年5兆円の目標額を設定します。その中には、海外で評価される日本の強みがあり、輸出拡大の余地が大きく、関係者が一体となった輸出促進活動が効果的な品目が輸出重点品目として、日本酒も選定されています。2025年の目標額は600億円です。

カナダの日本酒

そこで、カナダです。アジア系移民の割合が高いバンクーバーには、以前から多くの日本食レストランがありました。が、和食の世界遺産登録で、カナダ最大の都市トロントでも、日本食レストラン、ラーメン店、居酒屋が多数開店。この和食ブームで、アジア系フュージョン・レストランや洋食業界関係者の間でも日本酒に対する関心が高まります。

2007年の日本からカナダへの日本酒輸出実績は、2億3,900万円、484キロ・リットル。10年後の2017年には、金額で2倍の4億8,600万円、量では1.5倍の711キロ・リットルと伸びています。しかも、量に比べ金額の伸びが大きいことから、より高価格帯の日本酒の輸出が伸びていると推定されます。

その後は、2020年の新型コロナの感染爆発によるサプライチェーンの混乱や経済の停滞の影響がありました。が、2022年の輸出実績は、11億6,300万円、1,000キロ・リットルです。2017年から5年で、金額で2.4倍、量で1.4倍の伸びです。そして、カナダは日本酒の輸出先として、額では7位、量では6位にランクされています。因みに、主要な輸出先は、米国及び中国を筆頭に韓国、香港、台湾、シンガポールのアジア諸国です。

上述の日本酒輸出協議会の「日本酒の輸出基本戦略」においても、重点輸出国として「北米(米国・カナダ)」と明記されています。

対カナダ日本酒普及のための多層的な取組

カナダは、G7メンバーであり、世界9位のGDP(円換算すると250兆円程度)。現在、人口4,000万人ですが、人口増加率はG7で最も高く、今後市場規模の拡大が見込まれます。更に、カナダではワインが広く好まれていますが、ワインには鉄分が含まれています。日本酒は鉄分を含有しないので、日本料理であれ西洋料理であれ、魚介類等により一層マッチする特性があります。よって、カナダは日本酒の輸出先としてのポテンシャルは高いと思います。現在の日本酒の対カナダ輸出額11億円は、将来、大きく伸びて然るべきです。

この潜在力を顕在化していくためには、日本酒の知識・認知度を上げ、ブランド力を確立し、輸出に関わる基盤整備と業者のサポート体制を整備し、販路を拡大するための官民一体となった多層的な取組が必要です。

日本酒普及イベントの資料

写真ご提供:山野内駐カナダ大使

「酒サムライ」マイケル・トレンブレー参上

在カナダ日本大使館は、日本酒普及のために様々な取組を強化しています。その一環として、日本大使館と日本酒造組合中央会は、11月13日、大使館附属オーディトリウムで日本酒イベント「サケ・マスター・クラス・テイスティング〜JapaneseSake: A Closer Look」を共催しました。オタワ在住の料理人、ソムリエ、レストラン経営者を対象に、日本酒の歴史、栄養学、科学までを学んでもらおうという野心的企画です。

この種のイベントの成否を握るのは講師です。今回はマイケル・トレンブレー氏にお願いしましたが、考え得る最高の講師でありました。2時間のコースは、事前に入念に準備され、歴史・科学から試飲、レストランでの実践まで、日本酒の真髄に触れるものでした。30人余の参加者からも大変に高い評価を得ました。

講演会のトレンブレー氏

写真ご提供:在カナダ日本大使館

トレンブレー氏は、2018年に「酒サムライ」に任命されました。「酒サムライ」の称号は、日本酒に関わる深い知識・洞察・経験、更に日本酒普及へのヴィジョンと情熱を持つ人物のみに授けられます。世界で約100人、カナダには3人だけです。また、2022年にTuttle社から出版したナンシー・マツモト氏との共著「Exploring the World of JAPANESE CRAFT SAKE〜Rice, Water, Earth」には、トレンブレー氏の日本酒への愛と敬意、使命感が溢れています。北米での優れた書籍に与えられるジェームス・ビアード財団の優秀賞も受賞されています。

トレンブレー氏の著作

写真ご提供:山野内駐カナダ大使

トレンブレー氏は、トロントのレストラン「Ki-modern Japanese+bar」のソムリエでもあります。因みに「Ki 」は「喜」を意味しています。此処では、90種類以上の日本酒を扱い、来店する客に日本酒の魅力が伝播されています。その際に重要なのは従業員教育だ、と彼は言います。何故なら、従業員の力が合わさることで一層大きな効果を生むからです。従業員が日本酒ファンになれば、自ら販路の構築に奔走し、客に対して知識と熱意に裏打ちされた接客を行うようになる。それは、客が日本酒に対し魅力を感じ、知識を得ることに直結します。

レストラン「ki」:ki ホームページから

写真ご提供:山野内大使

公邸会食での会話〜カナダの現実

更に、日本酒普及のための取組の一つが食卓外交です。大使の最も重要な仕事の一つでもあります。公邸にカナダの閣僚、議員、政府高官、オピニオン・リーダー、ビジネス関係者、芸術家・文化人等をお招きしての会食です。信頼を深め、人脈を開拓し、貴重な情報を得て、必要に応じ、日本の立場への理解と支持を確保するためですが、同時に、食卓に出す日本の銘酒は、日本酒普及に一役買っている訳です。

G7広島サミットの時期には広島の蔵元の酒、ALPS処理水の放出の頃には福島の蔵元の酒、札幌で開催されたG7気候・エネルギー・環境大臣会合に出席する ギルボー環境大臣をお招きした際には北海道の「男山・大吟醸」を出しました。味は勿論のこと、其々の蔵元には語られるに相応しい歴史や興味深いエピソードがあります。食卓で共に食し、飲み語り合うことで人間関係が深まります。話題はその時々で政治・外交、ビジネス、科学技術、文化まで様々ですが、日本酒に関しては、以下のような会話が頻繁にあります。

主賓「大使、公邸の料理は最高ですね。お酒も本当に美味しい。」

私「日本酒の素晴らしさを知って頂き、嬉しいです。」

主賓「何処で、この美味しいお酒を買えますか?」

私「実は、ここオンタリオ州では、LCBO(Liquor Control Board of Ontario)の複雑・煩雑な規制が厳しく運用されています。だから、このお酒は残念ながら、通常の店舗で販売されていません。飲みたい時は、連絡下さい。公邸に御招待しましょう」

主賓「やっぱり、LCBOですか。」

私「おっしゃるとおりです。WTOやTPPを通じ、自由貿易を牽引しているカナダには敬意を表します。が、こと日本酒の輸入となると、率直に言って社会主義的ですね。酒類の輸入に関しては、『アルコール飲料輸入法』で州政府に管理権限が与えられて、各州のアルコール飲料専売公社を通じて処理されることが義務づけられているんですから。自由貿易とはほど遠いがんじがらめの規制の網があるんです。」

主賓「是非、規制改革をして欲しいものです」

私「カナダ側からもLCBO規制緩和の声をあげて頂ければ大きな力になります。」

LCBO規制緩和

カナダにおける日本酒普及のため、多層的な取り組みが行われていますが、鍵は、オンタリオ州について言えばLCBOを始めとした州当局の規制緩和です。日本酒輸入の現場の状況について、上述の「酒サムライ」トレンブレー氏が自らの経験から率直に語ってくれました

曰く、

  • 「Ki」レストランが90種類の日本酒を提供出来ているのは日々LCBOと詳細を調整し煩雑な手順を踏んでいるからだ。
  • 現在のLCBOの規制では、日本酒を新たに置くには複数の厳しい審査が必要。
  • 輸入に際しては、LCBO指定の海上運送会社を使うことが義務づけられている一方、その会社は温度管理を適切に行えていない。大きなニーズのある繊細な高級日本酒の輸入の障壁となっている。
  • 実務的な観点からは、LCBOの規制こそが乗り越えるべき壁である。

トレンブレー氏は、レストラン「Ki」での日々の経験から、日本酒ファンになった客がより多様な日本酒を求め、声を上げることが日本酒普及にとって重要だと述べます。更に、日本酒ファンのネットワーク化が可能だし、進めるべきだと主張しています。それは、LCBO規制緩和を進める力になるとも指摘しています。傾聴に値します。

私としては、カナダにおける日本酒の一層の普及に向け、日本酒ファンを増やし、彼らの声を伝えると同時に、ネットワーク化をサポートし、関係省庁、各総領事館の力も借りながら、各種日本酒普及イベントを開催しつつ、LCBOを始めとした州当局の規制緩和が進むように、LCBO自体、更にはカナダ政府へも働きかけて行きたいと思っています。

なお、この原稿執筆の最中に、オンタリオ州が酒類の規制について大幅な見直しを検討しているという報道がありました。この具体的な内容にも今後注目して行きたいと思います。

大使公邸近所のLCBO直営店

写真ご提供:山野内大使

結語

2023年3月14日、関係省庁連絡会議において「伝統的酒造り」をユネスコ無形文化遺産へ提案することが決定されました。全てが上手く行けば、2024年末までには登録される流れです。いよいよ、日本酒の時代の到来です。カナダでも、より多くの方々に日本酒を楽しんでもらいたいと切に願います。

(今回の「オタワ便り」では、国税庁「日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り」調査報告、日本酒造組合中央会HP「酒の歴史」、ジェトロ農林水産・食品部と国税庁酒税課「日本酒輸出ハンドブックーカナダ編―」、日本酒輸出協議会「日本酒の輸出基本戦略」を参考にさせて頂きました。ありがとうございました。)

(了)

文中のリンクは日加協会においてはったものです。

Ontario/ オンタリオ州

Toronto / トロント