Column: オタワ便り NO.25 (2024年5月)
オタワ便り第25回 5月
山野内在カナダ大使
日加協会の皆様、日加関係を応援して下さっている皆様、こんにちは。
5月の声を聞いて、オタワも春爛漫です。公邸の庭の桜も満開です。
そして、日加関係もまた新しい段階に進化していると実感します。日本でもカナダでも大きく報道されましたが、4月25日、「ホンダ」はゼロ・エミッション車(ZEV)のフルバリュー・チェーンをカナダに構築する総額150億加ドル(1兆7,000億円)の超大型投資に向けて検討の最終段階に入ったと発表しました。
という訳で、今回は、この「ホンダ」の発表を軸として、2050年ネットゼロ・脱炭素と電気自動車と日加関係の進化についての私見を述べたいと思います。
公邸の桜
写真ご提供: 山野内駐カナダ大使
はじめに~21世紀の現実
日加関係について語る前に、まず、世界情勢を見てみましょう。10年一昔と言いますが、2014年を振り返って見れば、我々は本当に激動の時代に生きていると実感します。
2014年は、新型コロナ、ウクライナ侵略もありません。今から振り返れば、クリミア侵攻もウクライナ侵略の予兆だった訳ですが、当時はそこまでの深刻な認識が持たれていた訳ではなかったと思います。グローバル化の進展による世界的な分業の効率化が論じられ、世界的に拡散したサプライチェーンの潜在的な脆弱性についての認識は薄かったのが実情でした。米国を見れば、トランプ氏の米大統領選への出馬表明以前です。彼が体現している社会の分断も喧伝されていませんでした。華為を巡るハイテク分野の競争もまだ水面下。習近平登場2年目で野心は隠したまま。南シナ海の人工島も未完成。ハマスとイスラエル、更にはイランを巻き込む中東情勢も未だです。人工知能もディープラーニングで進化が始まったばかり。パリ協定も未だ交渉中でした。グローバル・サウスという視点もありませんでした。
10年前と比較して、現代の国際社会が如何に複雑化し、流動化しているかは明らかです。敢えて集約すれば、現代は厳しい地政学的な挑戦に直面する一方、地球温暖化が一層深刻になり、2050年ネットゼロ・脱炭素社会の実現に向けて取り組まなければならない時代です。そんな中で、日本が平和と繁栄を維持していくための戦略は4つだと思います。第1に、日本の国力の増進。これには、国防力、経済力、技術力、ソフトパワー等が含まれます。第2に、日米同盟の強化。そして第3に、同志国、友好国との一層の関係強化。第4に、国際的なルール・メイキングです。
今回のホンダの超大型投資は、2050年ネットゼロに向けての切り札になるZEVのフルバリュー・チェーンのカナダにおける構築ですが、これは上述の日本の戦略の第1、3、4に関わるものです。日本企業の力は国力の源泉ですし、カナダとの関係は新しい段階へとアップグレードしますし、ZEVを巡る事実上の国際スタンダードつくりに大きな一石を投じました。
ホンダ・アリストン工場
写真ご提供: ホンダ
2024年4月25日
全くの私見ですが、この日の記者会見は、末永く記憶されることになるに違いありません。発表された内容が歴史的な意義に満ちています。
まず、投資総額です。約150億加ドルは、ホンダ史上最大。これまでの記録の3倍という巨額です。カナダ史上も、自動車部門の投資として最大。一つの会社の投資としても最大。オンタリオ州史上も最大の投資です。
その内容もです。電気自動車(EV)の包括的バリュー・チェーンを一つの国の中で構築する画期的なものになります。EV完成車工場とEV用リチウムイオン電池の製造工場を、オンタリオ州アリストンのホンダの敷地内及び近接地に新設。電池の主用部品である正極材については、カナダ国内に、ホンダとポスコの合弁会社、セパレーターについては旭化成との合弁会社を設立。電池の原料のリチウムやニッケル等の重要鉱物資源もカナダ国内での調達を目指すのです。その意味で、これ以上のサプライチェーン強靭化はありません。世界の自動車メーカーが、今後の脱炭素社会に向けて、激しく競争する中で、ゲーム・チェンジャーとなるに違いありません。
そして、この日の記者会見の参加者です。トルドー首相、フリーランド副首相・財務相、シャンパーニュ産業相、更に、地元選出の多くの連邦下院議員。オンタリオ州からは、フォード州首相、州財務相、州産業相、地元市長です。ホンダからは三部社長、日本政府を代表して私が参加しました。CBCニュースは、会見を生中継で放送しました。連邦政府、州政府のトップと主要閣僚が一堂に会したのです。ホンダによれば、現在ホンダのアリストン工場では4,200人が雇用されていますが、今回の電池工場とEV工場の新設で、更に追加的に約1,000人の雇用が見込まれます。カナダ、オンタリオ州にとって、それだけ重要な投資であるということです。
左から、フォード州首相、トルドー首相、フリーランド副首相・財務大臣、三部社長、シャンパーニュ産業大臣、山野内駐カナダ大使
写真ご提供:日本大使館
この翌日は、私もCTVのインタビューを受けました。今回のホンダの超大型投資は新しい章に入った日加関係の象徴である旨を強調しました。
控室でのトルドー首相との懇談
写真ご提供:日本大使館
カナダの優位性
今回のホンダの決定は、その規模といい内容といい、同社の戦略の大きな転換を体現しています。ホンダのこれまでのグローバル戦略は米国を軸として来ましたが、これからは、カナダが主軸となるのです。完成車と電池の工場をオンタリオ州アリストンに集約させて、北米を中心にグローバルに展開する発想です。2050年のネットゼロに向けて、ZEV化の流れが加速する中で、如何に主導権を握るか、知恵を絞った結果だと思います。ここにはカナダの持つ優位性が見えて来ます。
まず、世界最大の北米市場の一角であることです。米国・カナダ・メキシコの3カ国の北米自由貿易協定(新NAFTA)によって統合された市場は、約5億人の人口、約32兆ドルのGDPの規模です。カナダで製造されたEVは、新NAFTAの定める条件に合致すれば、北米市場に直面無税で輸出できます。脱炭素に向けて巨額の補助金を提供する米国のIRA (インフレ抑制法)の対象にもなるのです。
次に、カナダには重要鉱物資源が豊富に埋蔵されていますが、採掘から精錬、製造、そしてリサイクルまでの全行程を行うことができる世界でほぼ唯一の国です。実は、これまでは常々、豊富に埋蔵はされて大きな潜在力を感じさせるものの、4つの課題があると指摘されて来ました。①開発のためのインフラは未整備だ、②鉱山開発・環境に関する規制が厳しく手続が煩瑣である、③重要鉱物資源の埋蔵地は、先住民の居住地域或いはそこに隣接しており、彼らの理解と支持を得るのが困難、更に④連邦政府と州政府の連携・調整が困難、というものです。しかし、連邦政府は、2022年12月に「重要鉱物戦略」を打ち出し、課題に対処する姿勢を明確に示しています。本年3月には、トロントで開催された世界最大級非鉄金属鉱業関連の国際コンベンションであるPDACの関連イベントにおいて、ウィルキンソン天然資源相が、従来15年要していた手続を5年に短縮する旨述べました。カナダの重要鉱物資源を現実のビジネスに結びつけるための具体的な措置を取っていく方針は、関係者の間で歓迎されました。
更に、カナダ政府及びオンタリオ州政府は、投資誘致に極めて積極的です。連邦政府のレベルでは、産業省はカナダ版IRAとも言うべき「戦略的イノベーション基金(SIF)」を予算に計上しています。財務省は、「投資税額控除(ITC)」制度を充実させています。今般のホンダの投資に対しては、ITCが活用されています。オンタリオ州政府も投資誘致のための補助金を供与することになります。企業としては、持続可能な形で、時代に適合した競争力ある製品を生産し、かつ雇用を維持していく上では、政府の支援は非常に重要ですし、支援の一貫性も不可欠です。カナダは、民主主義国家にして、政治的にも安定しています。
また、カナダ社会は、多様性に満ちて包摂的です。社会保障制度も安定しています。極めて積極的な移民政策を採っていることから、優秀な人材が世界中から集まっています。必要な人材をタイムリーに得ることが出来ます。労働力こそ鍵です。
この関連で興味深いのが、ブルームバーグの調査部門BNEFによるリチウムイオン電池のサプライチェーンの国別ランキングです。これは、2021年から毎年、主要30国を対象に、各国の製造能力、政策、支援策、立地条件等を評価して順位を付けて発表しているものです。2024年2月に発表されたランキングで、カナダが初めて中国を抑えて首位になりました。カナダの優位性が評価された訳です。
CTV「Question Period」インタビュー
写真ご提供: 日本大使館
日加関係の「新しき章」
日加両国は、民主主義国家で人権・法の支配、市場経済等の基本的価値を共有し、共にG7でありTPP参加国です。極めて良好な関係を維持し、その発展に努めて来ました。一方、カナダは、歴史的にも地理的にも大西洋・欧州との関係が外交・安保・経済政策の軸でした。が、カナダは、2022年11月、「インド太平洋戦略」を公表し、この地域への関与を強化する姿勢を鮮明にしました。この戦略の核心には、対中国政策の修正、これまで必ずしも十分ではなかったASEAN諸国との関係強化、そして従来から重視して来ていた日本との関係の抜本的な強化があります。一方、日本も同年12月に「国家安全保障戦略」を発表。日本自身の努力、日米安保体制の強化、そしてカナダを含む同志国との協力の推進を柱にしています。そして、日加両国は「自由で開かれたインド太平洋に資するアクション・プラン」に合意し、法の支配、平和維持、グローバル・ヘルス、エネルギー安全保障、自由貿易、地球温暖化対策の6分野での具体的な協力を進めているのです。
アクション・プランは大変に良く練られた文書ですが、行動こそ重要です。安全保障分野、経済分野での具体的な協力が進展しています。が、特に、昨2023年9月、日加間のビジネス・産業技術の一層緊密な協力に向けて、関係企業の代表を率いての西村経産大臣(当時)のオタワ 訪問は非常に意義深いものです。カナダ側のカウンターパートであるイン国際貿易大臣、シャンパーニュ産業大臣、ウィルキンソン天然資源大臣と個別に議論。また、日加の民間代表も含めた合同のワーキング・ランチでは、率直かつ幅広い観点から議論を深められました。私は、個人的に日加の4人の経済閣僚がヴィジョンと戦略を共有していることから、志を同じくする「経済カルテット」と呼んでいます。このカルテットが主導して、日加両国政府は二つの文書に署名しました。一つは「日加間の産業技術協力」に関するもの。もう一つが「日加間のバッテリー・サプライ・チェーン」に関する協力覚書です。今般のホンダの超大型カナダ投資は、正に、この協力覚書の戦略的な意図が体現したものです。
ゼロ・エミッション車の未来
2050年ネットゼロに向けて脱炭素化が加速する中、温暖化ガスの約20%が運輸部門からの排出ですから、ZEVは必然です。各国は、時期を明示してZEVへの移行を定めています。
例えば、カナダは2035年に新車販売の100%をZEVとすることを法律で定めています。米国は、2030年までに新車販売の50%以上を電動化するという大統領令を発布しています。EUでは、2035年にはハイブリッド車を含め事実上すべてのガソリン車・ディーゼル車が禁止されます。
その上で、2023年のEV普及率(新車販売台数のシェア)を見てみましょう。カナダは8%(30万台)、米国で7.6%(119万台)、EUでは14.6%(154万台)です。販売台数とシェアは、年々増えています。
同時に、課題も見えて来ました。特に、価格、性能、関連インフラなどです。消費者は価格に敏感ですが、現段階でEV価格は割高です。政府の消費者への直接の助成あるいはメーカー側への支援が今後の普及にとって不可欠です。性能については、1回の充電で実航続距離500kmが一つの目安です。また、遠隔地での充電ステーションなどの関連インフラ、寒冷地や極暑地での走行についても議論があります。EVの核心である電池に不可欠なリチウムなどの重要鉱物資源の調達は、今や経済安全保障に直結します。欧米日米欧の企業がカナダに注目する所以です。
また、EVを含むZEVにとっては今後の規制がどう展開するかが死活的に重要です。米国のインフレ抑制法の今後の帰趨にも注目が集まります。カリフォルニア州の先進クリーン・カー2(ACCII)は2026年発効です。世界マーケットの資金石で、今後を占うと見られています。世界のメーカーが技術・販売戦略でしのぎを削っている訳です。
結語
温暖化の影響は顕著です。グテーレス国連事務総長は、もはや温暖化どころではなくグローバル・ボイリングだと表現している程です。温暖化対策は待ったなしで、技術も日進月歩です。EVは、温暖化対策の鍵です。
加えて、EVは自動運転との相性が良く、AIなど最先端技術との連携も進むと予想されます。将来のビジネスの覇権にも関わる苛烈な競争が既に始まっています。カナダは、間違いなく、その主戦場の一角にいます。今後の日本企業とカナダの戦略的な連携が進展することを期待します。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
Ontario/オンタリオ州
"- オンタリオ州について