Column: オタワ便り NO.26 (2024年6月)
オタワ便り第26回 6月 「桜」と「船」
山野内在カナダ大使
オタワの6月は、1年のうちで最も過ごしやすく、美しい季節です。夏至の前後で日照時間がとても長く、午後9時を過ぎても、太陽の名残があります。緑は深く、多彩な草花の黄色やオレンジや赤と鮮やかなコントラストが初夏を彩ります。オタワ川やリドー運河が映す青空と真っ白な雲は、オタワが世界で最も美しい首都の一つだと実感させます。
という訳で、今回の「オタワ便り」は、日本とカナダの友情を紡ぐ人と人の交流についてです。大使の日常は、日々様々な出会いに満ちていて、多くの事を学んでいます。特に、人物交流に関するイベントへ招待される場合、或いは自分自身が公邸でのイベントを主催する場合に、非常に示唆に富む話を聞くがことが多いです。
そこで、5月にあった2つのイベントを皆様に共有したいと思います。
〈桜が育む友情〉
2024年5月11日の土曜日のことです。私は、ハミルトンのセンティニアル公園 での「桜植樹10周年記念式典」に招待されました。早朝5時に起きて、オタワからトロントのダウンタウンのビリービショップ空港に飛び、そこから、陸路ハミルトンに向かいました。
この日は、生憎の雨模様でした。しかも、桜は既に葉桜になっていました。雨の中、緑が鮮やかではありましたが、通常であれば、ハミルトン界隈では、5月上旬が桜が満開となり、の「10周年式典」にとって最適のタイミングなったはずですが、地球温暖化が引き起こす暖冬の影響がここにも出ていました。
雨天にも関わらず、この「10周年式典」には、ハミルトン市長、ハミルトン選出のオンタリオ州議会議員、市議会議員、さらにロバート・オリファント外務政務官も参加しています。勿論、ハミルトン市民も、テントの中で肩を寄せ合って、この式典に参加されていました。
桜祭り
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
センティニアル公演の桜は、植樹されてから10年ですが、ハミルトン界隈では、唯一の桜の名所だと伺いました。ハミルトン市民は、ここの桜をこよなく愛し、桜が満開の時期には、多数の市民がセンティニアル公演の桜を楽しんでいると同時に、誇りに思っていらっしゃる訳です。桜には、それだけの求心力があるということなんですね。
実は、ハミルトンのセンティニアル公園の桜には、150年余に及ぶ日本とカナダの歴史が深く関わっているのです。
1873年〜コクランとマクドナルド
英領北アメリカが大英帝国の自治領「ドミニオン・オブ・カナダ」として建国されて6年後。明治政府が「キリシタン禁制の高札」を撤去したことが伝わると、カナダ・メソジスト教会は、2人の宣教師を日本に派遣しました。ジョージ・コクラン牧師とデビッドソン・マクドナルド医学博士です。実は、この2人は日本で暮らす初めてのカナダ人とされています。
マクドナルド博士
写真ご提供: Wikipedia
(注:カナダから日本に来た最初の人物は、ハドソン湾会社のラナルド・マクドナルドです。自治領カナダ建国前の1848年で、英国籍でした。彼は、ペリー来訪時の通事を務めた森山栄之助に英語を教えました)
コクラン牧師とマクドナルド博士は日本で伝道を行う中で、女性に直接働きかけられないもどかしさを感じていました。当時の日本の社会では男女が一緒に集会に出る習慣はありませんでした。そこで、2人は、日本での5年に及ぶ伝道活動の経験を踏まえ、本国へ「婦人宣教師派遣」を要請します。1878年の事です。これを契機に、本国で議論が始まります。
1882年〜カートメル登場
1881年11月、オンタリオ州ハミルトンで、「カナダ婦人ミッション」が結成されました。翌82年9月の第1回総会で、日本へ派遣する婦人宣教師に38歳のミス・マーサ・カートメルが選ばれました。
1882年12月27日、ミス・カートメルは横浜に上陸。そして、東京・築地の外国人居留地のカナダ・ミッション宣教師館に居を定め、文明開花の時代の東京で伝道活動を始めます。活動を本格化させてミス・カートメルが痛感したことは、寄宿舎を備えた学校の必要性でした。1884年に鳥居坂に東洋英和女学院を設立しました。
ミス・カートメルと英和の学生・教師
写真ご提供: 東洋英和女学院ホームページ
東洋英和女学院は、カナダ人はじめ英語を母国語とする教師による英語教育と欧米の新しい文化・学問が学べる場として評価を高め、今日に至っています。
多士済々の卒業生を世に出している中で、特筆すべきは、「赤毛のアン」の翻訳者、村岡花子です。「赤毛のアン」は、L.M.モンゴメリが1908年に発表した小説です。日本では、終戦後の1952年に村岡花子訳で出版されました。原作の抒情的な情景、ユーモラスな表現が見事に和訳され、長く読み継がれています。
2014年〜ハミルトン
時は流れ、2014年。東洋英和女学院は、この年に、創立130年を迎えました。記念事業として、卒業生や学院関係者の募金によって、学院創設者のミス・カートメルの出身地ハミルトン市に、感謝の意を込めて桜を寄贈する「桜プロジェクト」が実現しました。
プロジェクトの実現のために、遡ること2011年から準備が始められていたそうです。北国カナダのオンタリオ州ハミルトンの気候風土に適合する桜の品種の特定、そのための詳しい土壌調査、維持管理の仕組みについて検討が進みました。学院関係者、ハミルトン市役所、ミス・カートメルが属していたセンテナリ教会、カナダ合同教会牧師の有賀誠一博士らの調整・尽力が身を結びます。
2014年6月、37本の桜が、ハミルトン市センティニアル公園に植樹されました。オンタリオの厳しい冬を乗り越えて、翌15年には桜が咲きました。以来、年を追うごとに見事な桜を咲かせ、今や、ハミルトンの名所です。
2024年〜桜寄贈10周年
今年2024年は、東洋英和女学院から桜が寄贈されて10周年の記念すべき年となった訳です。高橋貞二郎東洋英和学院副委員長はじめ英和関係者も多数参加されました。副委員長自らギター伴奏され、東洋英和の校歌も披露されました。オリファント外務政務官、ホーワス・ハミルトン市長らに続き、私も祝辞を述べる機会を頂戴しました。
式典参加者
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
1873年の最初のカナダ人宣教師来訪、ミス・カートメル来訪、東洋英和女学院設立、村岡花子と「赤毛のアン」、学院設立130周年、ハミルトン市への桜の寄贈、2024年の桜10周年という教会・学院の歴史。それが150年に及ぶ日本とカナダの友好親善関係と呼応している。人と人の交流が歴史をつくり、国と国の絆をも育くむ。という趣旨の話をさせて頂きました。
式典の後に、懇談の機会がありました。人の世の縁の奥深さをしみじみ感じる事がありました。私は、有賀誠一博士に招待頂き、この式典に参加しました。オタワでも頻繁にお目にかかっているオリファント外務政務官と話していましたら、有賀博士も話の輪に加わりました。そこで私が知ったのは、有賀博士とオリファント政務官は、40年前に、バンクーバー神学校で同級生だったというのです。桜の取り持つ縁、日本とカナダの友情が胸に沁みた1日となりました。
(右から)オリファント外務政務官・有賀誠一博士・山野内駐カナダ大使
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
〈船が紡ぐ絆〉
2024年5月28日、オタワの公邸で、「世界青年の船(SWY:Ship for World Youth)」カナダ同窓会に対する在外公館長表彰の授与式をいたしました。通常、在外公館長表彰は、日加関係の増進に顕著な功績のあった個人に対して授与するものです。が、SWYのカナダ同窓会がSWY事業の促進だけでなく、幅広く日加関係の増進にも貢献していることから、今回は、団体に対してのものです。
にっぽん丸
写真ご提供: クルーズのゆたか倶楽部HP
SWYの歴史
SWYは日本が誇る国際的な交流プログラムですが、その歴史を遡ると今年が創設から65周年です。
SWYの原点は、1959年。当時の皇太子明仁殿下(現上皇陛下)と美智子さまの御成婚を祝福して、内閣府の事業として始まった「青年海外派遣事業」です。岸信介総理の発案で、日本の未来を担う若者を世界各国に派遣し、見聞を広める狙いでした。
1962年には、海外の青年を日本に招待して、日本の社会・文化・歴史等を知ってもらい、日本の若者との交流も促進する「海外青年招聘事業」が始まりました。
1968年、明治維新百年記念事業の一環として「青年の船」事業が始まりました。これは、日本の青年が自力で海外に行くことが容易でなかった時代に、政府が実施主体となって日本の青年を海外に派遣する事業として注目されました。記念切手も発行されています。
写真ご提供: 日本郵便趣味協会HP
その後、日本は世界第2位の経済大国、G7メンバーになって、国際的な役割は増大します。各分野での国際化も進展して行きます。内閣府が実施していた上記の事業についての改善・改革が求められます。
そして、1988年度、「青年海外派遣事業」と「青年の船」を統合して「世界青年の船(SWY)」 へと発展させます。日本の青年を派遣するという色合いの強かった従来の事業内容を進化させ、日本の青年と海外の青年の交流を促進するものとなりました。18〜30歳の青年が世界各地から集まり、日本から参加した青年が、「にっぽん丸」の船内で共同生活しながら、ディスカッションや文化交流等を通じて、異文化対応力やコミュニケーション力を高め、リーダーシップを高めるものです。寄港先では、施設訪問や現地の青年との交流を行います。日本においては、1週間程度の陸上研修があり、皇族御引見、総理表敬、地方都市訪問・ホームステイのプログラムが組まれています。
写真ご提供: 内閣府
SWYとカナダ
SWY第1回は、1989年1月18日から3月29日までの71日間、日本人青年103人と11カ国の青年173人が参加して行われました。
以来、SWYはこれまで毎年開催されており、2023年度までで34回を数えます。但し、34回目は、新型コロナ感染爆発の影響でハイブリッド開催でした。主催国の日本を除き、世界の69カ国から青年が参加しています。累計の参加者は1万5000人です。内訳は、日本人青年が約1万人、海外の青年が5000人にのぼります。
カナダは、1991年のSWY第3回から、これまで累計14回のSWYに参加しています。この回数は、メキシコ、NZ、オーストラリアの最多19回に次いで、5番目に多い参加回数です。カナダからの参加者は155人です。最多参加者はメキシコの252人で、カナダは10位に当たります。人口を考慮に入れると、カナダからのSWY参加は、非常に密度の濃いものになっていると思います。
そして、カナダからのSWY参加に関し、特筆すべきは、事後活動の素晴らしさにあります。
SWY同窓会
1996年、SWYの事後活動組織である国際連盟の支部として、「カナダ同窓会(AAカナダ:Alumni Association Canada)」が設立されました。今や、SWYAAカナダは、6名の同窓会役員と150名の同窓生からなる極めて活発な組織です。
SWYAAカナダの活動については、SWYを所管する内閣府やSWYAA国際連盟からも、次のとおり高く評価されています。
「SWY事業の目的の一つは、SWYで得た経験を一過性のものとせずに、その後の自分自身の社会貢献活動に生かすことであり、参加した青年にその旨をお願いしているところ、カナダについては、SWYへの参加→その後の活動やSWY・日本への協力→交流対象国への選定等々と好循環が実行されている国である(内閣府)」
「カナダは国土が広く、カナダ国内の既参加青年が参集することが難しい中、オンラインを活用したイベントやプログラムを効率的に活用している。コロナ禍で延期となっていたが、SWY国際大会のホスト国にも立候補するなど積極的に活動している(SWYAA国際連盟事務局)」
SWY同窓生の活躍
SWYAAカナダ及びそのメンバーは、日本が誇る交流プログラムを通じて、SWYそのものの活動に加え、日加関係の増進にも大きな役割を果たしています。一つ最近の実例をあげます。
5月14日のことですが、旭化成は、オンタリオ州のナイアガラ地方のポート・コルボーン市に電気自動車用リチウムイオン電池のセパレーターを製造するための工場新設に16億加ドルの大型投資を発表しました。その記者会見には、トルドー首相、シャンパーニュ産業相、フォード州首相に加え私も参加しました。その際、投資決定に至る交渉の最終段階で流暢な日本語と日本社会・文化に対する深い理解で大きな役割を果たした人物として、ポート・コルボーン市長のポール・ファリス補佐官を紹介されました。実は、ファリス補佐官は、カナダが初めて参加したSWY3の同窓生だったのです。一般論で日加関係に貢献したというのではなく、ポート・コルボーン市にとって史上最大の投資にして、旭化成にとっても初めての湿式セパレーターの一貫工場建設という非常に意義深い案件に直接関わっていたことは特筆に値します。
在外公館長表彰
5月28日の授与式には、多くのSWYAAメンバーも参集しました。バングラデシュ代表としてSWYに参加し、「にっぽん丸」で出会い、恋に落ち、結婚し、今はトロント在住の同窓生夫妻も参加されました。SWYで出会った日本人とカナダ人の夫妻もいらっしゃいました。今は、モントリオール在住です。日本の交流事業で出会った同窓生が、多様性と包摂性を重んじるカナダを拠点に活躍されています。直近のSWY34に参加した、マニトバ州出身のヤシ・シャヒディアンさんは、現在、首相府直属の青年評議会のメンバーで、トルドー首相にも直接助言する機会があると述べつつ、SWYの経験を生かし、日本との青年交流をもっと促進したいとも話してくれました。
在外公館長表彰の表彰状は、私からSWYAAカナダのマイク・ラフルーア会長にお渡ししました。ラフルーア会長は、「SWYに参加した青年が『にっぽん』で共有した時間は、かけがえのない貴重な時間です。その時に育まれた友情は未来永劫続くと実感しています。SWYAAカナダは、今後なお一層、活動を活発化し、日加関係の発展に貢献したいです」と語りました。
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
表彰式の後、祝賀夕食会を開きました。SWY AA幹部に加え、連邦議会から加日議連副会長のロス上院議員、加外務省からエップ次官補にも参加頂きました。公邸料理人の素晴らしい和食に舌鼓を打ちつつ、SWYの活動を軸に幅広く、日加関係の一層の発展に向けて、活発な意見交換を行いました。
祝賀夕食会参加者
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
結語
今回は、「桜」と「船」が取り持つ日加間の人物交流について共有させて頂きました。これは2024年5月に私が関わったイベントです。が、日本とカナダには、この他にも数多くの重層的に広がる素晴らしい交流があります。日加関係の未来はとても明るいと得心します。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
Ontario/オンタリオ州
"- オンタリオ州について