Column: オタワ便り NO.27 (2024年7月)
オタワ便り第27回 7月 「功の成るは成る日に成るにあらず」プーラン元上院議員とダッキーノBCC元最高経営責任者
山野内在カナダ大使
はじめに
夏至も過ぎると、オタワは盛夏を迎えます。地球温暖化の影響か、40℃を超える日もありますが、晴天の日が続き、街の緑と川の水が絶妙のコントラストを見せます。
7月は、1年の中でも特にカナダの歴史を感じさせる月です。と言うのも、1日が「カナダ・デー」、4日が「アメリカ独立記念日」、14日が「フランス革命記念日」です。カナダ・デーは、誇りを持ってこれまでの歩みを振り返る日です。また、米と仏の大使公邸での記念イベントは、多数の招待客で溢れ、カナダと米仏両国との歴史的な繋がりを想起させます。
そこで、日本です。カナダとの歴史的な関わりという意味で米仏両国に比べれば、日本とカナダの出会いは新しい訳ですが、両国の間の絆には深いものがあると実感します。何故ならば、日加関係には、その発展に尽くした人々の素晴らしい軌跡が溢れているからです。
そんな日加間の絆を体現する人物の中に、長年にわたり加日議連共同議長を務められたマリー・プーラン元上院議員とカナダ・ビジネス評議会(BCC)の創立最高経営責任者にして特別終身会員のトーマス・ダッキーノ氏がいます。お二人とも、政治家あるいはビジネスパーソンとして、それぞれの立場から、大きな使命感と情愛をもって日本との関係の発展に取り組んでいらっしゃいます。今般、大きな功績を認められ、令和6年春の外国人叙勲で、お二人に「旭日重光章」が授与されました。改めて、国と国の絆は、人と人の関係なのだと得心した次第です。
という訳で、今回の「オタワ便り」はプーラン元上院議員とダッキーノBCC元最高経営責任者です。
【オンタリオ州北部サドベリーが生んだ傑女マリー・プーラン元上院議員】
マリー・プーラン元上院議員への旭日重光章の勲章・勲記伝達式は、6月11日に大使公邸にて行いました。そこには、プーラン氏の叙勲を祝福しようと実に多数の来賓がいらっしゃいました。彼女の膨大な人脈の一端を如実に示すものでありました。特に、オンタリオ州のエディス・デュモン副総督(注)が、多忙な日程の中トロントから駆けつけて下さったのが印象的でした。20年間に及び上院議員を務められたことを含め、プーラン氏の充実したキャリアを如実に物語るものです。
(注)カナダの各州における副総督は、州の憲法上の元首の役割を果たし、カナダの君主である国王(現在はチャールズ3世)を州レベルで代表する。
左から、シーアン加日議連共同議長(下院)、ブーラン元上院議員、山野内駐カナダ大使、クッチャー加日議連共同議長(上院)、デュモン副総督
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
嶋シェフと
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
サドベリー〜モントリオール〜トロント
マリー・プーラン氏は、1945年6月に、北部オンタリオの中心都市サドベリーに誕生。幼少期から明朗快活にして利発な少女でした。両親の強い影響で、教育と公共サービスの重要性を重んじて育ちます。長じて、地元のローレンシアン大学教養学部を卒業後、名門モントリオール大学の大学院に進みます。1969年、社会学修士課程を修了し、同大学で講師を務めます。
その後、1974年にCBC(カナダ放送公社、日本のNHKに相当) に入ります。様々な番組のプロデューサー等を務めた後に、1987年にCBCの副社長に就任し、5年間その任にある間に人事人材部門と経済界との関係統括を担当。特に、功績として語られるのは、オンタリオ州北部地域に30本の衛星通信アンテナを整備し、フランス語のラジオ放送を発足させたことです。同地域は日本の2倍以上の広さがあり、そこに住むフランス系の人々にとってCBCへのアクセスの大幅な向上は長年の夢だったのです。プーラン副社長の深い地元愛と同時に強力なリーダーシップを示しました。これが、公共政策さらに政界へと繋がります。
上院議員への道
プーラン氏は、1992年にはマルルーニ政権下で枢密院事務局長補となります。CBCで培ったコミュニケーションに関わる見識で、カナダ政府の全般的なコミュニケーションのあり方について改革を試みます。が、翌93年には、カナダ芸術関係者紛争審判所長に就任します。
1993年11月、歴史的な勝利を収めた ジャン・クレティエン自由党政権が誕生します。そして、1995年9月、クレティエン首相は、前任上院議員が就任から2年後に急逝したことを受けて、マリー・プーラン氏をオンタリオ州北部からの上院議員に任命します。天の采配でしょう。以来、20年間にわたりこの職にあり、この間、上院運輸・通信委員長、さらに自由党会長も務めています。
プーラン上院議員は、驚くほど多岐にわたる関心をもって、職務に邁進します。主な分野としては、コミュニケーションと通信、フランス系住民へのサービス向上、公共政策全般のガバナンス、健康・衛生、文化交流などです。その背景には、CBCや枢密院での職務経験、自身の出身地であるオンタリオ州北部の実情、さらに幼少期からの両親の影響などが見えます。が、何と言っても、御本人の旺盛な好奇心・探究心と、それを満たそうとする膨大なエネルギーの為せる業だと思います。
加日議連共同議長
そして、プーラン上院議員の情熱は、日本との関係発展にも注がれます。特に、2002年から2009年には、加日議連共同議長を務めました。さらに引き続き、2009年から15年までは、共同副議長をも務められました。13年間にわたり、上院議員の立場から日加関係の増進に多大なる貢献があった訳です。この間、何度も訪日いただいてますが、特に、共同議長として、日本・カナダ友好議員連盟との合同総会への出席のために訪日された、2002年と2004年の概要について記したいと思います。
(1) 2002年9月の訪日では、日本側議連との会合に加え、日本とカナダの将来を見据えた視察を精力的に行いました。
例えば、トヨタ自動車、日本科学未来館といった最先端分野のみならず、秋田の県農村部を訪問。地方経済の衰退の現状と課題克服に取り組む現場を見て、日本の多角的な産業構造を理解した上で、なお一層の日加間の経済関係強化への機運へと繋がりました。
また、日加間の人物交流強化の観点から、両国議連が姉妹都市関係を強化することで一致。その後、青森県十和田市とアルバータ州レスブリッジ市との姉妹都市協定が締結されるに至っています。
(2) 2004年9月の訪問では、当時の懸案となっていたBSE(狂牛病)問題についても、議連間で率直に議論。食の安全に関する科学的な視点と安心安全という消費者目線、さらに日加二国間関係のマネージメントという観点から、冷静に対処するよう尽力されました。その甲斐あって、カナダ側の食肉輸出者との関係は、信頼に基づく平穏なものとなりました。
さらに、プーラン共同議長は、敬意とヴィジョンと情熱を持って、天皇皇后両陛下の御訪問の実現を願う旨を、福田康夫官房長官ら日本側要路に向けて働きかけます。そして、実際に、両陛下のカナダ御訪問は2009年7月に実現の運びとなります。実は、当時、私は北米一課長を務めており、この御訪問の随員でした。プーラン氏は議連共同副議長でいらしたので、オタワでの公式行事の際に顔を合わせていた訳です。人の縁の不思議を噛み締めました。
ブーラン氏関連書籍
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
【世界を股にかけるルネサンス的人物〜トーマス・ダッキーノ】
トーマス・ダッキーノ氏は、起業家、法律家、経営者、ベストセラー作家、篤志家、そして教育者でもあります。溢れる才能と情熱で、多岐に渡る分野で活躍してきました。ルネサンス的人物です。普通の人の何倍もの密度で、仕事をしています。どれも素晴らしい訳ですが、敢えて偉大な業績の筆頭にあげるとすれば、カナダ・ビジネス評議会(BCC)の最高経営責任者です。現在、BCCには200万人以上を雇用しているカナダの主要企業170社が参加し、民間部門が生むGDPの50%に貢献しています。1981年から2009年まで28年間にわたりこの要職にあり、BCC発展の土台をつくりました。オタワでは、影の首相(Behind the Scenes Prime Minister)とも評されていた程です。
カナダ・ビジネス評議会の発展
何事においても、その創世記を辿るのは興味深いものです。「カナダで最も影響力のある団体」とも評されるBCC(Business Council of Canada)は、1976年に、カナダを代表する150企業のCEOが参加するBusiness Council of National Issues(BCNI)として、トロントで設立されました。実は、1976年は、カナダがG7メンバーとなった象徴的な年です。
ダッキーノ氏は、1981年にBCNI会長に就任します。BCNIの果たすべき役割の大きさとその潜在力を知るダッキーノ会長は、一大改革に取り組みます。拠点をトロントからオタワへと移したのです。ここに、ダッキーノ氏の政治経済に関するヴィジョンが見えます。
即ち、現代の民主社会において、民間企業の果たす役割は、単に個々の会社の利潤追求ということを越えて、大きな社会的責任があり、国力の源泉である経済力そのものを担う存在です。確かに、オタワは首都であり、連邦政府と連邦議会、連邦最高裁判所が所在し、カナダという国家の舵取りをしていますが、オタワは国の経済拠点ではありません。にも関わらず、BCCの拠点をオタワに置くことで、民間企業と連邦政府の緊密かつ適切な連携が可能となり、それこそがカナダの発展に直結するという確信があったのです。
実際、ダッキーノ氏率いるBCCの活動は、ビジネスに直結した問題からカナダの未来を左右する公共政策にまで及んでいます。米加自由貿易協定とNAFTAに関し、企業の視点から重要な提言を行い、慎重論の強かった世論に重要な一石を投じました。また、ピエール・トルドー政権が取り組んでいた「1982年憲法」の制定という状況に際しては、BCCとして「憲法問題に関する市民のためのガイド」という小冊子を発表し、世論を喚起しました。また、議会改革につき研究し「カナダにおける議会制民主主義〜改革のための論点」を出版します。エネルギー・環境政策についても、数々の問題提起を行っています。
2000年代に入り、反グローバリズムが台頭した際には、グローバル化を当然視することなく、改善のためのリソースの投入を呼びかけました。現在の厳しい地政学的な状況を見れば、ダッキーノ氏が既に、行き過ぎたグローバリズムに警鐘を鳴らしていたことは、彼の先見の明を示しています。
日加ビジネス関係の土台を築く
ダッキーノ氏は、数えきれないほど訪日されてます。日本関連の様々な会合への出席は200回を超えるといいます。BCC最高経営責任者としてだけでなく、自身が代表を務める会社の要務、国際会議・各種セミナー・パネル等々、さらには私的旅行でも日本を訪れています。
ベストセラー作家でもあるダッキーノ氏が2023年に出版した「Private Power, Public Purpose」には、長年にわたる日本との交流などが慈愛をもって著述されています。ソニーの盛田昭夫氏との出会いや、経団連事務総長の三好正也氏との仕事、さらには高野山・金剛峯寺訪問など、大変に印象深いものがあります。
ダッキーノ氏著書
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
日加経済関係において、ダッキーノ氏の果たした役割は多岐にわたりますが、意義深いのは、2005年1月の「日加経済枠組み」の立ち上げがあります。これは、ダッキーノ氏が、ポール・マーティン首相に対し、日本との間に新たなイニシアチブを立ち上げる必要性を説いた書簡に由来するのです。同首相は「日本との関係を新たなレベルに動かす用意がある」旨述べ、日加間で調整が始まりました。そして、マーティン首相訪日の時に、小泉総理との日加首脳会談で合意され、発足したのです。「日加経済枠組み」は、貿易投資対話、社会保障協定、食品安全協力、貿易円滑化、科学技術、エネルギー・天然資源、気候変動など優先的な15分野での協力をはじめ、日加間の経済協力を包括的に規定した画期的なものでした
筋金入りの日本重視派
ダッキーノ氏は、冷徹に日本経済を見ています。その上で、大きな発言力を持つカナダの政界経済界に、時に応じ、適切な提言を行っています。特に、2001年出版の「Northern Edge: How Canadians Can Triumph in the Global Economy」の中で、明快にカナダのアジア戦略の最重要国は日本でなければならない旨述べています。この著書が出版されたのは、アジア経済危機と中国の台頭の時期で、国際的には日本経済への関心が逓減していました。そんな中、時流に流されず、洞察力ある的確な視点を提示されたのは流石です。
先般発表されたホンダ・旭化成など日本企業の旺盛な対カナダ投資をはじめ今日の日加経済関係の発展ぶりを見るにつけ、ダッキーノ氏が築いてこられた日加ビジネス関係の強固な土台の賜物だと実感します。
さらに、来月には、ワシントンDCに次ぐ2番目のBCC海外拠点として東京事務所が開設する運びです。日加ビジネスの一層の発展が期待されます。ダッキーノ氏が拓いた土壌は着実に実をつけています。
オタワへの豊穣の旅路
そんなダッキーノ氏は、1941年にBC州に誕生。ブリティッシュ・コロンビア大学卒業後、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクスに進学。その後、ピエール・トルドー首相の政務スタッフとなり特別補佐官まで務めた後、1972年から75年にかけて、ロンドンとパリで国際ビジネスに関するコンサルティング会社に勤務しました。また、オタワ大学法科大学院で特任教授も務めました。また、自身の投資会社、コンサルティング会社も経営。上述の通り、BCC最高経営責任者を四半世紀余にわたり務めました。国立美術館財団の理事にも就任しています。1日24時間を最大限有効に使っていらっしゃるのです。
ダッキーノ元最高経営責任者・ご家族と
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
ダッキーノ氏への旭日重光章の授与式は、6月18日に大使公邸で行いました。ジョー・クラーク元首相、ジョン・ハナフォード枢密院事務局長兼内閣官房長に加え、二人のカナダ中央銀行元総裁ら、カナダ政財界の重鎮が祝福に駆けつけました。
「Imagine」を皆で歌いました
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
レセプションの模様
写真ご提供: 在カナダ日本大使館
功の成るは成る日に成るにあらず
令和6年春の外国人叙勲で旭日重光章を授与されたプーラン元上院議員とダッキーノBCC元最高経営責任者の業績の一端は上述の通りです。実は、お二人ともカナダ最高の栄誉であるカナダ勲章も受賞されています。若き日々から、倦むことなく積み重ねてこられた質の高い仕事が評価された所以です。
中国・北宋時代の文人で唐宋八大家の一人蘇潤が喝破したとおり、志をもち、志を貫き、努力を重ねるところに成功が訪れるということでしょう。
マリー・プーラン元上院議員とトーマス・ダッキーノBCC元最高経営責任者、こんな素晴らしい二人が日加関係の絆を一層強くしてくれています。心より感謝申し上げます。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
Ontario/オンタリオ州
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