Column: オタワ便り NO.29 (2024年9月)
オタワ便り第29回 9月 ラグビー日加代表戦・観戦記〜PNC2024
山野内在カナダ大使
日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、こんにちは。
はじめに
8月も下旬になりオタワは晩夏です。気温が20℃を下回る日ばかりで、日没の時間も随分と早くなりました。街の雰囲気も、夏休み気分も一掃され、仕事モードに戻って来たようです。
そんな最中の8月25日、私は、日曜日にもかかわらず、午前6時に起床し、バンクーバーに出張しました。ワールド・ラグビー連盟傘下のパシフィック・ネーションズ・カップ(PNC)2024の日加代表戦に招待頂いたからです。現在、日本は世界ランキング14位で、更に上位を狙える位置にあり、テレビ中継もされました。 という訳で、今回のオタワ便りは、ラグビー日加代表戦の観戦記+αです。
日加戦のバナー
写真ご提供:山野内駐カナダ大使
ラグビーの起源と日本のラグビーの発展
御承知のとおり、ラグビーの歴史は、1823年イングランドの有名なパブリック・スクールであるラグビー校でのサッカー試合中に、ウィリアム・ウェッブ・エリス少年がボールを抱えたまま相手ゴールを目指して走ったことが起源とされています。その後、共通のルールが定まらないながらも非常にポピュラーなスポーツとして発展。現在のラグビーの原型は1945年に成文化されたルールだそうです。
エリス少年
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日本にラグビーが伝わったのは1899年。以後、「大学スポーツ」として発展していきます。 早稲田、慶應義塾、明治、同志社等が中心的役割を担って来ましたが、やがて、花園で開催される高校選手権、各地域の社会人リーグも発展して行きます。日本選手権大会では、新日鐵釜石や神戸製鋼が7連覇する等、国民的話題も集めていきます。私事ですが、私が通った長崎の県立高校では、課外クラブ活動だけでなく、体育の授業でもラグビーが取り入れられ、同級生全員が泥まみれになったのも懐かしい思い出です。
さて、日本は、着々と実力をつけていきます。2015年の英国でのワールドカップでは、世界の強豪南アフリカを破りました。キャプテンのリーチ・マイケルや五郎丸歩は、国民的ヒーローでした。 また、2019年の日本開催でのワールド・カップでは、世界ランキング2位のアイルランドに19対12で勝利。「静岡の奇跡」と呼ばれました。日本が強豪国の仲間入りした瞬間でした。 池井戸潤の小説「ノー・サイド・ゲーム」がベストセラーになりTVドラマ化されたのも記憶に新しいところです。
静岡の奇跡
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日本のラグビーが強くなった一つの背景は、ワールドラグビー連盟の規則第8条が規定する代表資格要件です。最大のポイントは、国籍が問われないことです。プレーする時点の直前60カ月間継続して、当該国(日本)の協会もしくはラグビー団体のみに登録されていることが要件です。 そこで、ラグビー日本代表は、国籍に関係なく、ベストな選手を起用することで力をつけて来たのです。
この関連で、平尾誠二監督、土田雅人ヘッドコーチ(日本ラグビーフットボール協会現会長) 率いる1999年のワールドカップ日本代表チームのキャプテンにはアンドリュー・マコーミック選手が起用されました。 代表チームのキャプテンに相応しい人格と技量を合わせ持ち、世界で戦うための布陣でした。しかし、当時は、日本代表のキャプテンが何故外国人なのかとの批判も強かったようです。 批判に屈せず、平尾監督・土田ヘッドコーチは、マコーミック・キャプテンを軸に好成績をあげた訳です。今は、日本代表に外国人選手がいることに何の違和感もありません。振り替えると隔世の感があります。ラグビーが日本社会の包摂性を高める上で大きな役割を果たしていると思います。
パシフィック・ネーションズ・カップ(PNC)の発足
一方、世界のラグビーを見れば、ラグビー発祥のイングランドやアイルランド、豪州、NZ、南アフリカ等の強豪トップ国とそれ以外の国との間には、歴然とした実力差があり過ぎる状況でした。
そこで、ワールドラグビー連盟は、環太平洋地域の世界ランキング第2グループの競争力を強化し、トップ国との格差を縮める目的で、PNCを設立しました。第1回大会は2006年に、オーストラリアで開催されました。日本は、最初から参加していますが、参加国の数や内訳が年により変更されたり縮小されたりしました。 東日本大震災や新型コロナ感染爆発の影響もありました。
が、改めて、NPCを活性化する動きが出てきました。スーパードライ等が好調なアサヒ・ビールがPNCをサポートする体制となったのです。参加国は、日・米・加・フィジー・トンガ・サモアの6カ国です。
そして、2024年8月、PNC2024が開幕。8月25日(日)午後2時、日本代表vsカナダ代表の公式戦が開始されたのです。試合会場はブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーが誇るBCプレイス。 最大6万人まで収容出来る巨大スタジアムで、2010年のバンクーバー冬季オリンピックの開会式・閉会式が行われました。北米プロ・サッカー・リーグに所属するバンクーバー・ホワイトキャップスの本拠地でもあります。様々なスポーツ試合、更にはコンサート等・文化行事に使用されています。
B.C.プレイス外観
写真ご提供:山野内駐カナダ大使
ラグビーが紡ぐ日本とカナダの友情
この日は正午過ぎから、試合に先駆けて、日加ラグビー関係者が参加するランチョン・ミーティングが行われました。この場には、日本ラグビーフットボール協会の土田雅人会長と岩淵健輔専務理事 (日本人初のプロ選手)、カナダ・ラグビー協会のキャサリン・マッギー理事長とネイサン・ボンブリー会長がいらっしゃいました。更に、パリ五輪の7人制女子ラグビーで銀メダルを獲得したチーム・カナダの2人の主力選手も駆け付けてくれました。 また、1987年の第1回ラグビー・ワールドカップのカナダ代表のキャプテン、1974年のUBC(ブリティッシュ・コロンビア大学)ラグビー・チームの日本遠征の選抜メンバーの方々もいらっしゃいました。さながら、日本とカナダのラグビー同窓会の様相を呈しました。
そして、ラガーマン(パーソン)は本当に紳士的かつフレンドリーでした。 高校の体育の授業でラグビーを些かかじっただけの私に、ラグビーの素晴らしさをたくさん語ってくれました。
カナダ・ラグビー協会のポンプリー会長と
写真ご提供:在カナダ日本大使館
ラグビーフットボール協会会長の土田会長と
写真ご提供:在カナダ日本大使館
実は、ラグビー日本代表の歴史は、1930年のカナダ遠征に始まるそうです。勿論、初めての海外遠征でバンクーバーに来たのでした。未だ、日本ラグビーは発展途上で、日本代表の相手は、カナダ代表ではなくブリティッシュ・コロンビア(BC)州代表だった訳です。が、7戦して6勝1分けで「ジャパン」の存在を示したそうです。この時期の日本はと言えば、1928年のいわゆる満州某重大事件以降、柳条湖事件から満州事変が没発し33年の国際連盟脱退に至る状況です。実は、ベーブ・ルースやルー・ゲーリックを擁するNYヤンキースの日本訪問が1934年です。それに先立つ日加ラグビー交流は、国際社会で孤立化する日本におけるスポーツ交流の意義を今日に伝えています。
と言いますのも、この遠征には印象深い逸話があるのです。第6戦の日本代表vs BC州代表の試合。開始早々日本選手が負傷し退場。当時のルールでは、試合途中の選手交代が出来なかったので、日本代表は14人で試合を続行しようとします。すると、BC州代表の監督は、いわばローカル・ルールで日本側に交代選手を出すよう求めます。が、国際ルールを遵守すべく、日本代表監督はその申し入れを固辞します。すると、カナダ側は1人休ませて14人で戦おうとしました。フェアプレーの精神です。これに日本の監督が感動し、補充の選手を出場させて、両チームとも15人で試合し、結果引き分けだったのです。この逸話は、勝敗を超えたスポーツマンシップを後世に伝えています。
また、困った時の友は真の友と言いますが、2019年の日本開催のラグビー・ワールドカップの時のカナダ代表の勇気ある行動は永く記憶されています。同年10月、非常に勢力の大きな台風19号が日本を急襲。9つの河川で堤防が決壊、77の河川で越水し、全国187万世帯、約400万人に避難指示が出され、死者・行方不明者が30人を超え、2万7000人の自衛隊員が出動し救助活動に当たりました。10月13日に釜石で予定されていたカナダ対ナミビアの試合を含め3試合が中止されました。
そんな中、ラグビー・カナダ代表の選手らは釜石で、清掃・復旧作業を手伝いました。その動画が公開されると「釜石での試合は中止になったが、カナダ代表選手たちは復興の取り組みの支援に向かい、ゲームの真価を発揮した」と称賛されました。
そして、このラグビー・カナダ代表の貢献を評して、翌2020年2月、カナダ・ラグビー連盟 ティム・パワーズ会長に対し川村大使より在外公館長表彰を行いました。
カナダ代表vs日本代表
さて、前置きが大変に長くなりましたが、いよいよ日本とカナダの代表戦です。 会場には、バンクーバー在住の日本人、更には応援ツアーで来られたファンも多数いらっしゃいました。 子供達が選手と一緒に整列し両国国歌演奏等のセレモニーを経て、午後2時過ぎにキックオフ。 光栄なことに、土田会長の横の席で、詳しい解説を伺いながら観戦させて頂きました。
日本代表チームは、エディー・ジョーンズ監督が本年6月に発表したばかりの新生ジャパンです。 経験豊富な選手に加え多くの若手が選ばれています。土田会長は、新生ジャパンは、次のワールドカップを視野に世代交代を狙ったものと説明してくれました。この日のスタメン15名中8名は外国人選手です。
そのジャパンは、開始直後から速いテンポで攻撃し、前半4分に先制トライです。その僅か3分後にもゴール前のラックからトライ。14対0と先行。前半30分過ぎまでに38対0と圧倒しました。目にも留まらぬ超高速パスでカナダを翻弄していましたが、身体の大きさ、フィジカルな強さで不利な日本が世界に伍していくのはスピードだと納得しました。前半を終えて、38対7でした。
しかし、後半、フィジカルな強さを全面に出すカナダに対し、ジャパンはミスやペナルティーが目立ち、流れが変わりました。後半のスコアは17対21とカナダの方に分がありました。前半の大量得点があったので、試合運びも当然に影響するとのことですが、ジャパンの課題も見えて来たそうです。
とは言え、試合は55対28と快勝。エディー・ジョーンズ監督の新生ジャパンは、これまで3戦3敗でしたが、4戦目にして初勝利でした。しかもアウェーでの試合で。
試合終了後は、ピッチ脇で、ジャパンの選手、ジョーンズ監督とそれぞれ写真も撮って頂きました。体力を消耗し疲労困憊されているにかかわらず、満面の笑みを浮かべつつ鋭く先を見つめる姿に感動を覚えました。
日本代表メンバーと
写真ご提供:在カナダ日本大使館
ジョーンズ監督と
写真ご提供:在カナダ日本大使館
結語
毎月このコラムで日本とカナダに関する多様な事柄を皆様に報告させていますが、実感することは、日加関係が充実し、政治・安全保障、ビジネス関係、文化交流など多様な面で日々発展していることです。今回、バンクーバーでのラグビー日加代表戦を観戦し、不肖にしてこれまで知らなかったラグビーが紡いで来た日加の厚い友情に触れました。改めて、日本とカナダの強い絆を実感した次第です。
土田会長は、2030年代に再びワールドカップ日本開催を目指すとおっしゃっていました。日本とカナダが切磋琢磨し、共に強豪国への道を歩むことを願ってやみません。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
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