Column: オタワ便り NO.33 (2025年1月)
オタワ便り第33回1月激動の2025年幕開け〜トルドー首相の辞任表明
山野内在カナダ大使
はじめに
日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
今、オタワは、美しい雪景色の中にあります。実は、健康のため私は、毎朝ウォーキングをしておりました。雪の中でも、雪中行軍よろしくスノーブーツを履いて毎朝5キロ程度歩いておりました。ところが先日フリージング・レインで道が完全に凍結し、スノーブーツにウォーキングスティックで武装しておりましたが、不覚にも転倒し右上腕部を骨折してしまいました。右手が使えなくなり、日常生活のごく普通のことも難しくなってしまいました。そして、今回の「オタワ便り」は、健康の大切さを実感しながら左手で書いています。頭の中の考えを左手で文字に転換するのに慣れず、隔靴掻痒の感じです。
さて、現下の国際情勢は、ウクライナ、中東、更には英仏独等の内政を見れば、ポスト冷戦後ともいうべき激動の真只中です。米国では1月20日に2期目のトランプ政権が誕生します。が、政権発足前からSNS上でカナダからの全ての輸入品目に25%関税を課すといったトランプ砲炸裂です。そんな中、トルドー首相は、1月6日(月) 午前10時45分、記者会見を開き、首相辞任を表明したのです。合わせて、議会を3月24日まで休会にすること、及び自由党の党首選を行うことも明言しました。正に、激動の2025年の幕開けです。

トルドー首相辞任
写真出典:CBCニュース
政界、一寸先は闇
少々古い話になりますが、1997年、私が一等書記官としてワシントンの政務班に赴任するに際して、先輩から助言を頂戴しました。世界中どの国に行こうが、そこには政治がある。権力闘争がある。政治体制も文化も歴史も問わない。それは、社会的な生き物である人間の本質だ。そして、外交官としては、駐在する国の内政をしっかり勉強すべし。何故ならば、外交の基盤は常に内政にあるからだ、と。
その助言は今も私の胸に刻まれていて、カナダの外交・内政を注視して来ました。どこの国においても内政は単純・短絡なものではなく、様々な要素が絡み合って一筋縄には行きません。カナダも例外ではありません。が、敢えてまとめれば、今回のトルドー首相辞任に至る基本的な要因は次の5点です。
① 2015年に誕生した自由党トルドー政権は10年目に入った。一方、自由党だけでは過半数に達しない少数与党である。
② 最近の世論調査は、野党・保守党の支持率40%に対し、与党・自由党25%。 また、国民は 生活費高騰、住宅問題、医療問題、多過ぎる移民への不満が蓄積。
③ 前回総選挙が2021年10月なので、2025年10月が任期満了。いつでも選挙があり得る。仮に、明日選挙があれば、保守党勝利と予測されている。よって、野党・保守党は早期の選挙を希求するが、保守党だけでは不信任決議を可決できない。鍵になるのは、2023年9月まで閣外協力協定を結んでいた、現在は野党の新民主党だ。
④ 一方、米国では2025年1月20日にトランプ政権が誕生する。就任前から25%関税の付加を表明し、如何に対処するかカナダにとっては最重要課題。そのためには、強力な政権が不可欠との認識が深まる。
⑤ そんな中、与党・自由党内からは、早晩選挙がある訳だが、トルドー首相では次の選挙は戦えないとして、トルドー下ろしが徐々に顕在化。昨年12月のフリーランド副首相兼財務大臣の辞任以降、トルドー首相への辞任要求が加速する。

フリーランド前財務大臣
写真出典:CBCニュース
この様に、トルドー首相を巡る状況は厳しいものがありました。大西洋沿岸諸州、オンタリオ州、ブリティッシュ・コロンビア州の自由党・党員集会では辞任要求を議決しました。
それでも、自由党の規則では、自ら辞めない限り、辞めさせる仕組みはありません。全ては、トルドー自身の判断によります。トルドー首相は、年末年始の休暇に入る前に、今後の身の振り方について休暇中に熟考する旨を表明しました。
熟考することの意味合いについて、オタワの政界関係者・ジャーナリスト・有識者の間には様々な見立てがありました。辞任を示唆するという者から任期満了までギリギリに粘るという者までいました。
詳細な経緯は徐々に明らかになるでしょう。しかし、全く個人的に率直な感想を言わせて頂ければ、2025年最初の月曜日、日本で言えば御用始めの1月6日の午前中に辞任表明会見が急遽行われた事に驚きました。正に、「政界一寸先は闇」でした。
「火事は最初の5分、選挙は最後の5分」
1月6日の辞任に先立ち、観測報道、リーク等がありました。勿論、客観的な情勢は早晩の辞任不可避というものでした。しかし、全てはトルドー首相自らの判断に依拠する訳です。ジャスティン・トルドーという政治家は、イケメンで柔和な外観からは想像できない強烈な自我と難局にも怯まず果敢に行動するファイターという資質を持っています。簡単に引き下がらないのとの見方も少なからずありました。だから、新年早々の辞任表明は驚きをもって受け止められたのです。
そこで、トルドー首相のファイターとして資質についてです。側近を含めジャスティン・トルドーを知る関係者から聞いた事柄を総合すると、トルドー首相のファイターとしての原点とも言えるのは、政権が誕生した2015年10月の総選挙です。
総選挙は2015年8月4日(火)に公示されました。この段階で、自由党の議席はわずかに34議席で第三党でした。多くの政界関係者は、現職ハーパー首相率いる保守党の勝利を予測していたのです。

トルドー首相
写真出典:CBCニュース
自由党はと言えば、10年に亘り政権を率いた クレティエン首相を継承したポール・マーティン首相が2006年に政権を失って以来、低迷していました。党勢の回復を目指し、2013年4月に新しい党首として、トルドー下院議員を選出。1968年から1984年まで約16年に亘り首相を務めたカナダ現代史に残るピエール・トルドーの長男です。とは言え、バンクーバーの高校で数学やフランス語、演劇の教鞭を取っていた当選二回の41歳。政治経験不足を指摘する声は根強かったのです。従って、2015年8月の段階で、自由党が政権を奪取出来ると考える関係者はほぼ皆無でした。
しかし、8月4日の公示日から10月19日(月)の投票日まで11週間で事態は大きく動きます。11週間というカナダ史上最長の選挙運動期間で(注)、トルドー党首率いる自由党は、カナダの将来にとって不可欠の脱炭素社会への転換や先住民との真の和解の重要性を訴え、有権者の関心と支持を獲得します。時代を先取るアジェンダ設定と若き党首のカリスマの面目躍如でした。(注: その後の選挙法改正により選挙運動期間は公示翌日から最大50日となった)
ジャスティン・トルドー率いる自由党は、事前の予想を覆して、下院338議席のうち184議席を獲得する大勝利を収めたのです。9年9カ月続いた保守党のスティーブン・ハーパー政権は、選挙前の166議席から、99議席へと惨敗したのでした。正に、「選挙は最後の5分」と言うべき、ダイナミックな変化を反映する選挙結果でした。
その歴史的勝利から、2019年、2021年の選挙を超えて、トルドー首相は9年余り政権を率いることになりました。その核心には、批判・逆境に屈しない強烈な自負心と使命感がありました。
世論〜民主主義のエンジン
上述の自負心・使命感故に、トルドー側近を軸に、相当困難な状況でも粘り活路を見いだす可能性が指摘されてはいました。
しかし、トルドー首相は辞任を表明しました。そこには、首相自身の心情の他にも政治的な駆け引き、与野党各党の思惑、景気、米国等々の様々な要因があった訳ですが、巨視的に見れば、カナダの世論が導いた結果だと言えます。ほぼ10年にわたり政権を率いたトルドー首相に対する倦怠感とも言えますが、世論には次の5つの側面があると思います。
第1に、新型コロナ収束後の急激なインフレに起因する生活費の高騰です。ガソリン代、食料品、住宅関連経費が多くの国民を直撃しました。
第2に、住宅問題です。戸建てであれ集合住宅であれ、購入であれ賃貸であれ、高騰しました。都市部では特に深刻でした。しかも、住宅を巡る世代間の格差が顕在化しました。親の世代と比べて子の世代の持ち家比率等は明らかに低下しました。
第3に、医療制度に対する不満の蓄積です。カナダ国民は基本的に無料で医療サービスを受けられる一方、医師・看護師等医療従事者の不足が深刻です。救急でも何時間も待たねばならない現実があるのです。
第4に、急激に増え過ぎた短期滞在移民への批判です。上述の住宅や医療サービスの問題の原因だとの指摘が説得力を持ちました。
第5に、トルドー政権の進歩的な政策、特に環境政策・脱炭素社会への移行に関し、オイル・ガス等の伝統的産業の関係者を中心に根強い批判があります。
ここまでトルドー首相の辞任表明に至る状況についての個人的な分析をのべました。が、今、オタワの関心は、今後のカナダ政局が如何に展開するかにあります。一寸先は闇ですから予断を持って語ることは慎みますが、幾つかの鍵になる日程や動向が明らかになって来ています。
今後の展開
3つの節目があります。
まず、自由党の党首選挙です。カナダにおいては、英国と同様に、首相は議会が決めるのではなく、総督が与党の党首を首相に任命する仕組みだからです。
自由党の党首選挙は、3月9日に行われることとなりました。最有力候補は、クリスティア・フリーランド前副首相兼財務大臣とマーク・カーニー元カナダ中央銀行総裁と言われています。更に、クラーク元BC州首相、グールド下院院内総務が立つと見込まれています。これまで取り沙汰されていたジョリー外務大臣は不出馬を表明。約2か月の選挙戦を経て、次の自由党総裁と首相が決まるのです。

マーク・カーニー元カナダ中央銀行総裁
写真出典:CBCニュース
次に、議会の新会期の始まりです。現在、議会は閉会されていて、再開されるのが3月24日です。まず、総督によるスローン・スピーチが行われます。実質的には新首相の所信表明演説に相当します。その後の展開の最大のポイントは内閣不信任案動議です。現段階では、最大野党の保守党、新民主党、ブロック・ケベコア党も自由党政権に対する内閣不信任動議を支持するとの立場です。
そして、不信任動議が可決する場合には、総選挙が公示されます。関連法令で定められた35〜50日間の選挙運動期間を経て選挙となります。投票日は月曜日と定められているので、5月のいずれかの月曜日であろうと見込まれています。そして、不信任動議が可決する場合には、総選挙が公示されます。関連法令で定められた35〜50日間の選挙運動期間を経て選挙となります。投票日は月曜日と定められているので、5月のいずれかの月曜日であろうと見込まれています。
勿論、一寸先は闇ですから、内外の様々な事情が影響を与え得ます。が、2025年のカナダ政治は、自由党の党首選挙、議会再開後の不信任動議、そして選挙を軸に展開することは間違いありません。
結語
激動の2025年が始まった訳ですが、私としては、カナダの内政については、国際情勢の文脈で2つの観点から注目しています。
まず、2期目のトランプ政権との関係です。カナダと米国は、8000kmの国境を接する隣国同士、経済的にも国防の面でも建国以来の歴史的な経緯も極めて密接です。その密接さ故に、トランプ政権の動向の最前線にあると言えます。25%関税を巡る駆け引きや「51番目の州」発言等が世界の注目を集めている所以です。その他にも国境措置、移民政策、国防費、対中国関係、北極等々、トランプ政権と如何に付き合っていくかという観点から、今後のカナダの政治動向から目が離せません。

トランプ x トルドー首相 x
写真出典:CBCニュース
更に、ウクライナ、中東はじめ厳しい国際情勢に対処していく観点で、日本にとってはG7が非常に重要ですが、2025年はカナダがG7議長国です。2023年の日本、2024年のイタリアを引き継いで、カナダがサミットのみならず各種閣僚会合を仕切る訳です。実は、トルドー首相は、現在のG7首脳の中で最もシニアであり、並々ならぬ熱意を抱いていました。が、上記の政治日程を踏まえれば、6月中旬のカナナスキス・サミットは、新しい首相の采配となります。サミット以外の関係閣僚会合もあります。カナダ内政はG7のプロセスに有形無形の影響を与えます。
最後に、オタワの政界関係者は、これまでの補欠選挙の結果や各種世論調査等を分析し、仮に明日選挙があれば保守党が大勝すると見ています。その意味で、現在、次の首相に最も近い位置にいる人物は、保守党のピエール・ポリエーヴ(Pierre Poilievre)党首と目されています。これまでは、日本のメディアでは取り上げられる機会は非常に限られていて、ポワリエーブルと片仮名表記されています。が、ここでは発音に準じてポリエーヴと記しします。
ポリエーヴ党首は、1979年6月、アルバータ州カルガリー生まれで、現在45歳。16歳の母親の下に生まれ、サスカチュワン州のフランス語教師の養子として育ちます。カルガリー大学で国際関係論を専攻。25歳で、2004年の総選挙で連邦下院議員に初当選し、以来、連続7回当選。保守党ハーパー政権では、34歳にして民主制度改革大臣に抜擢されています。

ポリエーヴ党首
写真出典:CBCニュース
この関連で言えば、2023年9月にカルガリーに出張した、ハーパー前首相と面談した際には、前首相がポリエーヴ党首を極めて高く評価した上で「次の首相は100%ポリエーヴになる」と断言されていたのが印象的でした。
いずれにしても、カナダ内政を今まで以上に密接にフォローして行きたいと思います。そして、折に触れて、皆様に報告させて頂きます。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
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