Column: オタワ便り NO.35 (2025年3月)
オタワ便り第35回3月 建築家レイモンド・モリヤマの遺産
山野内在カナダ大使
日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、こんにちわ。
はじめに
最近のオタワでは(東京も同じだと思いますが)、トランプ大統領の言動について報道されない日はありません。TVニュースも新聞も、25%関税、51番目の州、パナマ、グリーンランド、ウクライナ、USAID廃止等々のトランプ関連の事項が日々踊っています。8000km余の国境を接する隣国カナダはトランプ政権の最前線の一つですから、日本大使館として情報を収集し分析して、本省に報告する多忙な日々ではあります。
一方、そんな中でも、多様な分野での日加関係の発展と深化のためには、広報文化活動が非常に重要です。従って、日本大使館としては、日々、様々なイベントを主催しています。幾つかの柱がありますが、一つは日本文化の紹介です。「オタワ便り」でも何度か取り上げていますが、生花の展示会、日本酒試飲会、盆栽展等は非常に好評です。また、もう一つの柱は、カナダの各方面で活躍されている日系カナダ人と日系コミュニティーとの関係強化です。今日のカナダ社会は多様性と包摂性を旨としていますが、過去においては容認し難い暗く苦難に満ちた時代もありました。その点に十分に踏まえた未来志向であることが大切だと思っています。
ということで、今回は、カナダが誇る建築家レイモンド・モリヤマについて記したいと思います。

Magical Imperfection: The Life and Architecture of Raymond Moriyama
写真出典:imdb.com
「Magical Imperfection: The Life and Architecture of Raymond Moriyama」
レイモンド・モリヤマについて、ひょっとして馴染みのない方もいらっしゃるかもしれませんが、彼は建築史にその名を刻まれている建築家です。大きな功績を認められてカナダで最高峰の勲章を総督から授与されています。オタワのカナダ戦争博物館などカナダを中心に傑出した建築物を設計し、東京では青山のカナダ大使館がモリヤマの代表作の一つです。2023年9月、93歳で逝去したモリヤマの人生と建築は、非常に示唆に富むものです。一つは、日系カナダ人としての歩みです。苦難に満ちた時代を乗り越えて成功を掴む人生です。

カナダ戦争博物館
写真ご提供:在カナダ日本大使館

在日カナダ大使館
写真出典:「In Search of a Soul」レイモンド・モリヤマ著
もう一つは、持続可能性と自然との調和を打ち出した時代を先取る新機軸の建築群を生んだ建築家としてのキャリアです。是非とも、後世に語り継がれるべきだと思います。
その観点からは、去る1月23日午後6時30分から日本大使館のオーディトリウムにて開催されたレイモンド・モリヤマのドキュメンタリー映画の上映会は、非常に意義深いものでした。日加関係や日本文化、或いは日系コミュニティーに関心をお持ちの約150人の一般の方々が来訪されました。映画のタイトルは「Magical Imperfection: The Life and Architecture of Raymond Moriyama」。正に、モリヤマの人生と建築について、インタビュー等に答えるモリヤマ自身の発言を中心に構成されたドキュメンタリーです。非常に濃密で、全ての場面が印象的です。
レイモンド・モリヤマは、1929年10月、日系移民の両親の下に、バンクーバーで生まれます。彼の人生航路の重要な岐路について、このドキュメンタリー映画や関連資料に基づき紹介したいと思います。

Magical Imperfection: The Life and Architecture of Raymond Moriyama
写真出典: imdb.com
建築家への夢
実は、建築家になりたいと夢みる直接のきっかけとなった出来事は、彼の人生の最初期に起きます。決して美しくも楽しくもないものでした。それは、4歳の時です。レイモンドは、台所で、高温のシチューが入った鍋をひっくり返し瀕死の重症となるほぼ全身に大きな火傷を負います。一命を取り止めますが、8ヶ月にわたり療養生活を送ることになります。4歳の幼児にとって、8ヶ月という期間は永遠にも感じられる時間だったでしょう。しかも、身体の自由もままならない訳です。
4歳のレイモンドは、絶望という言葉は知らなかったかもしれません。大きな試練の時が人生そのものの日々を過ごします。そこで、大きな勇気を与えたのが自室の窓から見える建築現場だったのです。何もなかった場所に、大工や建設作業員が参集し、建築資材が運び込まれ、照る日も降る日も吹く日も、毎日少しずつ建設が進むのです。やがて、建物が輪郭を現し、遂に完成します。その様子を観察する大火傷を負った4歳児には、その全てを指揮する建築家が神にも似た存在に見えたのでしょうか。
その経験が、将来、建築家になることが、幼きレイモンド・モリヤマの夢となり、追求すべき理想であり、実現すべき目標となっていきました。
不完全な中に宿る魔法
その後、レイモンド少年は、両親の母国である日本へ行く機会を得ます。東京で暫し祖父との時間を過ごします。祖父は、鉱山技師でしたが、レイモンド少年の目には俳句を詠む素敵な侍で、ありのままの自然の中に存在する美しさに感動を覚えるような人だったそうです。或る時、祖父はレイモンド少年に尋ねたといいます。
君は2日前に完璧な円である満月を見たよね。そして、今晩は少々欠けて不完全な月を見ている。さて、君はどちらの月がより美しいと思うかい?」
レイモンド少年にとっては、それまでに出会ったことのない質問でした。そんな視点から考えたこともありませんでした。美しさとは何か?少年が哲学的な思索に目覚めた瞬間です。
以来、レイモンド少年は、芸術と美について考えを巡らせるようになります。そして、ありのままの自然の中に潜む美しさに惹かれるようになるのです。それは、完璧ではない不完全なものに宿る魔法の力とも言うべきものです。そして、彼の人生と建築に関するドキュメンタリー映画のタイトル「Magical Imperfection」は、正にここから採られたのです。以来、レイモンド少年は、芸術と美について考えを巡らせるようになります。そして、ありのままの自然の中に潜む美しさに惹かれるようになるのです。それは、完璧ではない不完全なものに宿る魔法の力とも言うべきものです。そして、彼の人生と建築に関するドキュメンタリー映画のタイトル「Magical Imperfection」は、正にここから採られたのです。
因みに、岡本太郎の母にして、詩人・作家の岡本かの子は、「美は乱調にあり」という言葉を残していますが、「不完全の魔法」に通じる思考だと思います。そう言えば、我らがユーミンこと荒井由実の傑作アルバム「14番目の月」にも同じ発想を感じます。

Raymond Moriyama in Magical Imperfection
写真出典:imdb.com
強制収容キャンプの中で
これまで毎月「オタワ便り」を書いて来た中で、率直に申し上げると、太平洋戦争勃発以降の日系カナダ人の強制収容に関して記述する際には常に言葉にならない葛藤を感じています。許しがたい非道な措置で弁明のしようもない行為でした。カナダ市民である日系人が味わった塗炭の苦しみ。財産を失い人生が奪われました。それでも、苦難を乗り越え、日系コミュニティーは成功し尊敬を勝ち得て今日の地位を築きました。リドレス合意で、謝罪と補償も得ました。従って、過去をどこまで詳細に記するべきかは難しい判断です。限られた紙面では、より未来志向であるべきとの考えもあります。
そこで、レイモンド・モリヤマです。1941年12月7日の真珠湾攻撃の瞬間から人生は大きく変わりました。平和主義者だった父は家族と引き裂かれ、オンタリオの戦争捕虜収容所に送致されました。12歳のレイモンド少年は、母親と2人の妹と一緒に、バンクーバー近郊のヘイスティングス・パークの強制収容所に入れられました。収容所では、狭い小屋での貧しい暮らし、子供の頃の火傷の跡を見咎められてのいじめ、自由も奪われて地獄だった」と後年語っています。
そんな状況でも、レイモンド少年は、時に収容所を抜け出し、近くを流れるスローカン川で極寒の中で風呂の代わりに水浴びをし、束の間の自由を味わったそうです。やがて、近くの製材所から木材の切れ端をもらうなどして、川のほとりの巨木の枝の上に「ツリーハウス」を構築します。生まれて初めての建築物である「ツリーハウス」は、レイモンド少年にとって、癒しの場所にして学びの場所となるのです。療養生活中に自室の窓から見ていた憧れの建築家への最初の一歩でした。
運命の扉〜仕事と伴侶
私が未だ学生だった頃読んで感銘を受けた本の一つに、城山三郎の「小説日本銀行」というのがあります。人生の要諦は、仕事と良き伴侶である、というのです。レイモンド・モリヤマの素晴らしき旅路も正に城山三郎が喝破したとおりです。
戦争が終わり、普段の生活が戻って来ます。とは言え、BC州には、戻れませんでした。心に負った傷は簡単に癒える訳ではなかったと思います。が、モリヤマ家は、オンタリオ州ハミルトンに移住。刻苦勉励し、名門トロント大学に進学。勿論、建築学専攻。名伯楽エリック・アーサー教授の下で学びます。建築家はもはや夢ではなく、現実的な目標です。その達成のための強固な基盤が出来つつあるのです。
実は、同時期に、レイモンド青年は、戦前にバンクーバーで暮らしていた頃の幼馴染のサチと再会します。実は、8歳のレイモンド少年は、将来サチと結婚すると決めていたといいます。運命の再会です。2回目のデートでレイモンド青年はサチさんにプロポーズしますが、サチさんは全く本気にしなかったそうです。それでも二人はデートを重ねます。
1954年。レイモンド青年は、トロント大学建築学科を卒業します。同時に、サチさんと結婚。仕事と伴侶という人生にとって最重要の両輪が回り始めました。この時、レイモンド25歳です。死が二人を別つ2023年まで69年間に及ぶ夫婦が誕生したのです。
そして、レイモンドは、更に建築学の奥義を学ぶべく、マギル大学で修士課程に進み、1957年には都市計画の建築修士号を得ます。ここから、サチ夫人の内助の功もあって、建築家としてのキャリアが加速します。
モリヤマ設計事務所の誕生〜壁を超えて
1958年、レイモンド・モリヤマは自身の設計事務所を設立します。29歳での独立は、自信と覚悟の現れと捉えられます。とは言うものの、現実のビジネスは、いつの時代も生き馬の目を抜く苛烈な競争に晒されるものです。実は、恩師アーサー教授には「君は成功しない」と断言されてしまいます。
教授は4つの理由をあげます。①若い年齢=経験不足、②資金が無い、③不景気、④「ジャップ」だから。1958年当時のカナダ社会は、今とは全く違います。先住民やマイノリティーへの差別は厳然としてあったのです。教授なりに、世の現実を直視すべしと鼓舞したのでしょう。因みに、カナダで初めて基本的権利と自由を保護する法律である「カナダ人権法(Canadian Bill of Rights)」が採択されたのは1960年8月です。
そんな社会状況下、若き建築家レイモンド・モリヤマは、類稀な才能と献身的な努力で道を切り拓きます。仕事の依頼は十分にありましたが、自身の理念に沿わないプロジェクトには関与しませんでした。収容所生活の経験故に、カナダを誰もが住みやすい場所にしたいというヴィジョンの実現に邁進します。

Raymond Moriyama in Magical Imperfection
写真出典:imdb.com
ここからは、現代カナダの建築史そのものと言っても過言ではないでしょう。
1963年のトロントの旧日系文化会館。オンタリオ・サイエンス・センター、オタワ市役所、スカボロー・シビック・センター、トロント公共図書館、サイエンス・ノース・サドベリー、バータ靴博物館等々です。
カナダ国外でも、リヤドのサウジアラビア国立博物館や米国のヴァージニア・科学博物館アネックス等もモリヤマの代表作です。

Scott Calbeck, Raymond Moriyama, David Hoffert
写真出典:imdb.com
カルベック監督トークショー
このようなレイモンド・モリヤマの人生と建築を描いたドキュメンタリー映画は、1時間の上映時間で、モリヤマの93年と11ヶ月の生涯のエッセンスを見事に抽出しています。プロデューサーであり監督も勤めたスコット・カルベック氏の手腕です。インディアナ大学、カールトン大学でジャーナリズムと歴史学を専攻し、ウエスタン・オンタリオ大学院で歴史学修士号を得た新進気鋭です。
そして、今回の上映会には、カルベック監督にも参加頂きました。映画の後には、監督に登壇頂いて、トークショーを行いました。モデレーターは、オタワ日系協会の元会長であるサチコ・オクダ氏です。先般、旭日単光章を授与された日系カナダ人のリーダーであり、「コンタクト・ジャパン」というTVメディアの創始者でジャーナリストでもあります。そのオクダ氏は、観客の反応も踏まえつつ、カルベック監督の話しをうまく引き出してくれました。

監督兼プロデューサーのカルベック氏とモデレータのサチコ・オクダ氏
写真ご提供:在カナダ日本大使館
カルベック監督は、齢90にならんとするモリヤマに長時間のインタビューを行っています。加えて、膨大な資料を調べ、関係者への取材も行っています。その成果がドキュメンタリー映画に凝縮しています。ですから、カルベック監督は、モリヤマの為人を語る最適の人物の一人と言えます。映画制作の苦労話も含めて語って頂きました。
観客からの質問は多岐に渡りましたが、特に、モリヤマの初期の代表作、1969年に竣工したオンタリオ・サイエンス・センターの保存については、熱い質疑応答がありました。モデレーター役のオクダ氏が議論を的確にナビゲートしましたが、このセンターを含む地区の再開発が既に決定されており、センターの取り壊しが規定路線となっている状況にどう対処すべきかという問題です。オンタリオ州政府として決定された事項に関し、芸術的・歴史的価値の観点から何らかの打開策があるのかが本質的ポイントではあります。民意の伝え方の問題であり、より現実的には、保存のための資金的な目処の問題とも言えます。今後の展開に注目です。

上映会の様子
写真ご提供:在カナダ日本大使館

カルベック氏のトークショー
写真ご提供:在カナダ日本大使館
結語
レイモンド・モリヤマが幼少期に夢みた建築家になる過程は、太平洋戦争時の日系カナダ人に対する強制収容とその後の差別された時代に重なります。素晴らしい才能と不断の努力で建築家の道を切り拓き、日本的な美意識とカナダ的なモダニズムを融合させた独自のスタイルを確立します。それは高く評価され、今日の地位を築いた訳です。
モリヤマの環境に優しいデザインや公共性の高い開放的な建築は、日系カナダ人として歩んだ彼の経験に由来するとも指摘されています。日系カナダ人としてのアイデンティティーを率直に披瀝する姿勢は、日系のみならず多くのマイノリティーに勇気を与えていると思います。今日、移民を含めカナダに住む人々が享受している自由・多様性・包摂性の尊重は、モリヤマら勇気ある先達の才能とヴィジョンと情熱の賜物だということを忘れてはなりません。
レイモンド・モリヤマのように、カナダで高く評価されている偉大な日系カナダ人について、次世代に語り継ぐことが大切です。日本においても、もっと知られるべきだと思います。その意味で、ドキュメンタリー映画「Magical Imperfection: The Life and Architecture of Raymond Moriyama」は非常に意義深く、日本での公開も期待したいです。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
Ontario/オンタリオ州
- オンタリオ州について
Ottawa/オタワ
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