オタワ便り第37回 2025年5月 連邦選挙速報〜自由党カーニー政権の勝利と今後の展望                    

山野内在カナダ大使

日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、こんにちは。

はじめに

前回の「オタワ便り」で触れたとおり、約10年に及んだトルドー首相が辞任し、カナダ銀行総裁・イングランド銀行総裁を歴任したマーク・カーニー氏が新首相に就任しました。カーニー首相は、電光石火に議会を解散。4月28日(月)に総選挙が行われました。

日本のメディアも詳しく報道していますが、カーニー首相率いる自由党が勝利しました。

結果は、自由党169議席(+17)、保守党144議席(+24)、 BQ(ブロック・ケベコワ)22議席(-11)、NDP(新民主党)7議席(-17)、緑の党1議席(-1)でした。カッコ内は前回2021年選挙からの増減を示します。

単純小選挙区で全343議席です。人口増を反映し、前回の338議席から5議席増えています。

自由党は、2015年、19年、21年の連邦選挙に続けて、4回目の連邦選挙に連続して勝利し、政権を担うことになります。但し、直前の各世論調査会社は過半数を超える議席数が予測されていましたが、過半数172議席に3議席足りない169議席です。

それでは、2025年カナダ連邦選挙の主要ポイントを見て参りましょう。まずは、今回の連邦選挙に至る政局の起点を振り返りましょう。

2025年1月6日〜トルドー首相辞任表明

この日は、2015年10月以来政権を率いたトルドー首相が辞任の意向を表明し、自由党党首選が発表された日です。この段階のカナダ政治の雰囲気を一言で云えば、10年に及んだ自由党トルドー政権に対する不満の鬱積です。生活費高騰・住宅問題・医療保険・過激な環境政策への厳しい批判がありました。各社世論調査の支持率でも自由党は保守党に大きく水を開けられていました。それでも、トルドー首相にしてみれば、2015年、19年、21年と3度の連邦選挙に勝ち、困難な状況でも決して諦めず粘り強く闘い、最終的には勝利して来たファイターとの自負がありました。父親のピエール・トルドーは16年に亘り政権を率いたことも意識していたでしょうし、今年はG7議長です。何としても政権を維持したいとの強い思いがあったことは想像に難くありません。それでも退陣を決断せざるを得ないほどに、トルドー政権の置かれた状況は厳しかった訳です。当時は、明日選挙があれば、保守党は200議席を超えると予測され、ポリエーヴ党首は次期首相の座をほぼ手中に収めていると見られていました。 一方、自由党は誰が党首になろうと下野すると見る向きが大勢でした。中には、相当数の議席を失い第3党に沈むと予測する向きもありました。

しかし、そんな状況が少しづつ変化し始めます。

1月6日辞任を表明するトルドー前首相

写真出典: CBC News

変化の兆し〜トランプ政権発足

トルドー首相が辞任を表明し、自由党党首選が始まって1ヶ月余を経た2月10日のことです。私は、ハーパー元首相を公邸に招き、カナダ政治について詳しく話を伺う機会に恵まれました。同元首相は、連邦選挙の見立てとして、次のように述べました。

「1月初旬の段階では確実に保守党が勝利すると見ていました。場合によっては、200議席を超える可能性も高いと思っていました。今も保守党が勝つと確信していますが、トランプ政権の発足の影響は極めて大きく、情勢は刻々と変化しています。25%関税と『51番目の州発言』でカナダ国民はトランプ政権への怒りを露わにしています。」

その上で、同首相は選挙結果について3つの可能性について述べたのです。

「敢えて言えば、3つのケースがあり得ると思います。まず、保守党が過半数を得て勝利するケース。この可能性が一番大きいでしょう。次に、保守党は勝利するけれど過半数には及ばないケース。そして、自由党が過半数には及ばないものの勝利するケースです。1ヶ月前には、その可能性は無いと思っていましたが、状況は予断できません。保守党として、最後まで気を抜かず勝ち切らないといけません」

2月の段階では、未だ誰が自由党党首になるかも不明でした。保守党と自由党との差は若干縮まったとは言え、保守党が優位な状況に変わりはありませんでした。そんな状況で、ハーパー元首相が自由党勝利の可能性に言及したのです。非常に興味深いと同時に、冷徹に状況を見ている元首相の慧眼に感服し、何事も決めつけてはならないと自らを戒めました。

自由党の党勢挽回

トルドー退陣表明から約2ヶ月後の自由党党首選に勝利したカーニー氏が3月14日に首相に就任します。カーニー首相は即座に解散を決意し、3月23日に、連邦議会を解散し、36日間に及ぶ選挙運動期間が始まりました。この間、世論調査が示すカナダの世論は大きく変化しました。

1月の段階では、ポリエーヴ党首率いる保守党に大きく水を開けられていた自由党は、カーニー新首相の下で徐々に支持を増大させました。4月に入ると、圧倒優位を誇った保守党は自由党に劣後し始めます。

政党支持率の趨勢を見れば、1月では、保守党44%・自由党20%であったのが、4月には、自由党42%・保守党38%となりました。

更に、選挙直前の議席獲得予想は、自由党186議席に対し保守党124議席でした。この数字は、独自のアルゴリズムで個々の選挙区毎の分析に基づく議席予測で定評のある「338カナダ」社の投票日4日前の4月24日のものです。

そして、4月28日(月)、連邦選挙の当日を迎えました。因みに、カナダは伝統的に月曜日を投票日としています。

自由党党首選で勝利したカーニー首相

写真出典: CBC News

2025年4月28日

選挙当日は、部内の会議を幾つか行った以外は、特段のアポを入れていませんでした。特に、大西洋諸州の投票が締め切られた段階から選挙速報に釘付けでした。全343議席の35%に相当する122議席を持つ票田のオンタリオ州の投票が締め切られたのがオタワ時間で午後9時30分。午後10時には、太平洋岸ブリティッシュ・コロンビア州とユーコン準州で締切られ、全ての選挙区で投票が締め切られました。日本の選挙報道で見られる「当選確実」のようなものは無く、各党の獲得議席数は開票の進行に応じて上下するのです。

大勢が判明したのは、日付が変わった4月29日(火)の午前1時頃でした。

まず、保守党のポリエーヴ党首が敗北宣言を行いました。象徴的なのは、ポリエーヴ党首自身が、2004年25歳で初当選して以来議席を守り続けて来たオタワ市のカールトン選挙区で、今回議席を失ったことです。

そして、カーニー首相が勝利宣言を行いました。ポイントは次の4点です。

① 謙虚、大志、団結というカナダの価値観に基づく変化が必要だ。

② 選挙は終わった。分断と怒りを終わりにしよう。

③ 我々は歴史の転換点にいる。深く統合されて来た米国との関係は終わった。米国が主導して来た開かれた貿易体制も終わった。欧州・アジアとの関係を強化する。

④ 米国からの危機に直面しているが、我々は団結して力強く自由で永遠のカナダをつくっていこう。

選挙当日の4月28日夜、保守等集会で保守等ポリエーヴ党首と妻アナルダペリエーヴ氏

写真出典: CBC News

自由党勝利の背景

さて、連邦選挙は終わり、カーニー政権が山積する課題に取り組み始めます。その前に、1月のトルドー辞任表明の段階では想像も出来なかったような大逆転が起こった背景を考えて見ることは、カナダの政治と社会を理解する上で有益だと思います。

首都オタワの最大の産業は政治です。有識者達は、日々、世論調査を行い多様な会合等を通じて内外情勢を分析しています。それらを参考にしつつ、私なりに今回の選挙戦を観察した上で申し上げると、今回の大逆転の背景には4つの要因があると思います。

〈選挙の争点の劇的変化〉

まず、選挙の争点です。今回の選挙の鍵はここにあると思います。1月の段階では、トルドー政権への批判こそが争点でした。生活費高騰・住宅問題・医療保険・環境政策、全てはトルドーの失政を糺すための選挙と位置付けられていました。ところが、トルドー辞任表明で、もはやトルドー批判の政治的意味は半減したのです。

代わって、米国でトランプ政権が発足し、いよいよ25%関税や「51番目の州」発言が本格化します。極めて密接に結びついた加米経済関係の現実の下では、25%関税はカナダ経済に壊滅的な打撃を与え得ます。勿論、米側にも痛手ですが。また、加米間で実際に戦火を交えた「1812年戦争」等の両国の歴史を紐解けば、「51番目の州」発言は、カナダ人にとっては到底容認し難い訳です。日頃は温厚なカナダ人が激昂し、愛国意識に目覚めたのです。選挙の争点は、トルドーからトランプに完全に変わりました。自由党のカーニー首相と保守党のポリエーヴ党首のどちらが、トランプ政権の横暴からカナダの国益と国民をより強力に守ってくれるのか?―という訳です。

〈ポリエーヴ陣営の戦略的失敗〉

選挙の争点がトルドーからトランプに変わりつつある中でも、ポリエーヴ陣営は、一環してトルドー自由党批判を続けていて、トランプ政権に対する戦略を明確に示すことはありませんでした。カナダの有権者の日常にとっての極めて現実的な問題である生活費高騰・住宅問題・医療保険・過激な環境政策について、減税を強力に訴え続けました。確かに、今年の1月までは効果的なアピールでした。   しかし、有権者が聞きたかったのは、トランプ政権に対して如何に対峙するのかだったのです。その点については、有権者の心を掴み切れなかったと言えるでしょう。

ここで有権者全体の政党支持の状況について一言。伝統的な保守党支持者は熱心に保守党を支持し、また自由党支持者は自由党を支持しているのですが、中間層の有権者は、状況に応じて、保守党にも自由党にも投票する訳です。明確な数字でお示し出来ませんが、この中間層がどちらに投票するかが選挙の帰趨を決めます。かつて、進歩保守党のマルルーニ政権が退陣し、後任の同党キャンベル首相が臨んだ1993年の連邦選挙では169議席から僅か2議席に減らしました。2015年の連邦選挙では、34議席の第3党であった自由党は、トルドー党首の強力な指導力で184議席を得て政権の座に就きました。鍵は、中間層です。

〈カーニー首相の底力〉

カーニー首相には、4つのアキレス腱があると指摘されていました。第1に、厳しく批判されたトルドー政権の経済顧問であったこと。第2に、カナダと英国で中央銀行総裁を務めた華麗な金融界でのキャリアと裏腹に政治経験が皆無で、演説下手。第3に、フランス語が十分に流暢ではないこと。第4に、金銭面や中国との不適切な関係に起因する醜聞のリスクです。

しかし、カーニー首相は、現職の首相の強みを最大限に活かしました。有権者に対して、トランプ政権に対峙し、カナダの国益と国民を守るのは、ポリエーヴではなく自分(カーニー)であると極めて効果的に示しました。就任直後の英仏訪問は、トランプ政権に対峙する上で欧州と協力出来るとのメッセージを示しました。また、トルドー政権が導入し非常に不人気だった炭素税について、首相の権限で廃止しました。ポリエーヴ党首のお株を奪う鮮やかな動きでした。

また、フランス語についても演説についても上達したと評価されています。華麗なるキャリアの土台には能力の高さがあることを改めて示したということです。この点に関して、メンデチーノ首席補佐官と懇談する機会を得た際に、「カーニー首相は、政治指導者としての資質を日々驚異的な速度で向上させていて、非常に印象的です」と私に語ってくれました。

また、醜聞のリスクについても、保守党あるいは主要メディアは真剣に探ったようですが、致命的なものは一切なかったと言います。

〈進歩派の戦略的投票〉

最後に、今回の連邦選挙の結果で注視すべきは、NDPの凋落です。前回から17議席減らして7議席と惨敗したのです。議会での議事運営で政党としての権利行使や恩恵を受けるためには最低12議席との法的要件がありますが、それを満たせません。ジャグミート・シン党首も自身の議席を失いました。

これが意味するのは、従来は、中道左派よりも更に進歩主義的なNDPを支持していた有権者が、政権を担う見込みのない少数政党NDPではなく、自由党の支持に回ったということです。保守党政権の誕生を阻止するために、戦略的に行動したのです。

BQについても同様の見方が可能です。11議席を失っています。NDPが減らした17議席とBQが失った11議席の合計27議席を仮にNDPとBQが維持していたとすれば、単純な算術ですが、保守党が自由党を制していたと言えます。

リベラル系の少数政党支持者の戦略的投票が大きな影響をもたらした訳です。

カナダ連邦議会下院議場

写真出典: 連邦議会下院公式HP

カーニー政権の今後の政策展開

既に、長文になってしまい恐縮ですが、今後のカーニー政権の主要な課題について述べたいと思います。もうちょっとだけお付き合いお願いします。主要な課題は6つだと思います。

〈人事〉トルドー辞任後に首相になった段階では非議員でした。選挙までの時間も限られていました。自前の人事というよりはトルドー政権の骨格を引き継いでいました。そこで、今回は、自ら党首として選挙を率いて勝利し、国民から付託された訳です。カーニー首相の基盤となる党と政府の人事に着手します。過半数に届かない少数与党ですから議会運営を担う党の人事が大切です。同時に、下記に述べる待った無しの政策課題を遂行する閣僚人事も最重要です。組閣には2週間ほどかかると見込まれています。

〈対米交渉〉カーニー首相は、選挙勝利の翌日29日に、トランプ大統領と電話会談を行いました。トランプ大統領は選挙の勝利を祝福しました。両国が独立した主権国家として協力する重要性が強調されたと云います。

〈G7〉今年はカナダがG7議長です。サミットは6月15〜17日にアルバータ州の保養地カナナスキスで開催されます。トランプ大統領が然るべく参加し、G7の連帯が国際社会に示せることが重要です。カーニー首相の手腕が問われます。 G7サミットの基本的骨格を決める2つの閣僚会合のうちG7外相会合は3月に開催済みですが、G7財務相・中央銀行総裁会合は5月20日に開催されます。カーニー政権の本格的始動となります。

〈減税・経済政策〉選挙の際の公約であった減税やトランプ関税による影響を緩和するための支援策等は早急に実現される必要があります。減税と支援策の両立は容易ではありませんし、少数与党で議会を通す議会対策も問われます。

〈国防政策〉国防費については、北極圏の安全保障状況が厳しさを増していると同時に、トランプ政権からの要求も強力です。カーニー首相は、2030年にはNATO基準の2%にまで増額する旨を表明しています。早急に具体的な道筋を示す必要があります。

〈大規模インフラ投資〉カナダは重要鉱物等に大きな潜在力を持っていますが、現在、カナダ天然資源の大層は米国にのみ輸出されています。トランプ政権の言動に直面し、カーニー首相は、過度な対米依存を是正するために、輸出先を多角化する旨明言しています。そのためには、先住民の理解と支持を得て、規制緩和し、連邦と州、更には州際間の円滑な調整を経て、平原州と太平洋・大西洋沿岸州を結ぶパイプライン等の大規模なインフラ投資が不可欠です。この実現は、カナダの潜在力を実際に開花させる上で不可欠です。トランプ大統領はカナダにとっての警鐘と言えます。一朝一夕には実現出来ないにせよ、迅速な取り組みに期待が高まります。

結語〜日本との関係

最後に、日本との関係です。トランプ関税は北米に展開する自動車等の日本企業にも大きなインパクトを与えます。その意味で、日加経済関係も陰に陽に影響を受けます。

一方、日本とカナダは、共にG7やTPPのメンバーであり、「自由で開かれたインド太平洋」のヴィジョンも共有しています。カナダ側が経済関係の一層の多角化を志向する中で、伝統的な資源から、脱炭素化に不可欠な重要鉱物、水素・アンモニア等の新エネルギー、更にはAIや量子といったハイテク分野での協力が進行しています。

更に、カーニー首相はかつてゴールドマン・サックス社勤務の時代に東京に駐在していました。日加関係の一層の進展を期待します。

(了)

文中のリンクは日加協会においてはったものです。

Ontario/オンタリオ州

Ottawa/オタワ