Column: オタワ便り NO.38 (2025年6月)
オタワ便り第38回 2025年6月 オタワ補習校〜広いカナダの大地のように夢を抱いて・・
山野内在カナダ大使
日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、こんにちは。
はじめに
世界で最も寒い首都の一つであるオタワにも、ようやく遅い春が来ました。と、春爛漫を楽しむ間もなく、既に初夏のような陽気に包まれています。1ヶ月余前には、雪で覆われていた近所のロッククリーク公園も今は鮮やかな緑が眩しいです。そんな季節の移り変わりも楽しんでいて、気が付くと、全くもって私事で恐縮ですが、オタワに着任して早くも3年が経ちました。正に、光陰矢の如しです。この連載も今回で38回目です。
そこで、今回は、オタワ補習校です。
地元オタワの日本コミュニティーとの緊密な関係を維持・強化することは、大使館の最重要任務の一つです。世界中どこでも学校、特に小中学校は、コミュニティーの中核的存在です。生徒だけでなく家族も様々な形で関わります。同様に、オタワ補習校も地元の日本コミュニティーにとっての重要な拠点と言えます。実際、子女をオタワ補習校に通わせている大使館員も少なくありません。私も、入学式、運動会、学芸会、卒業式等は日程の許す限り参加させて頂いています。
そこで、実感する事は、オタワ補習校は、生徒にとっての学びの機会であると同時に、日本大使館にとっては、将来に亘って知日家を育み、地元コミュニティーへの日本文化の浸透等の観点からは、極めて貴重な外交的なアセットでもあるという点です。
と言う訳で、まずはオタワ補習校の歴史から始めましょう。
創世記
オタワ補修校が創設されたのは、1993年です。それまでは、日本の教科書を使って日本語で教える学校は存在していませんでした。
首都オタワは、その昔はバイタウンと呼ばれる木材ビジネスの中継地の小さな村でした。オタワという街の名称は、アルゴンキン語で「交易する人々」を意味する「adawe」 に由来します。1857年に英領北アメリカ植民地の首都となり、その後の自治領カナダ、更にカナダの首都として発展し、今日に至ります。一方、人口はトロント、バンクーバー、モントリオール等の大都市圏と比べると小さく、製造業等の目立った産業もありません。要するに政治の街です。その意味で、オタワ近郊の在留邦人数も限られていました。
長年に亘り、オタワの在留邦人の間には、「オタワに補習校を」という願いはありました。しかし、日本企業の少ないオタワには商工会や日本人会のような母体となる団体がないので、補習校の設立は難しい状況でした。また、学齢期の子女を帯同した日本大使館員の間でも、オタワに来て現地の教育に慣れさせる方が優先して、補習校設立には今一歩という感じだったと云います。
しかし、1993年に転機が訪れます。日本大使館の松井靖夫公使がこの状況を打開するべく問題提起したのです。「子女が帰国した際に学習や文化、礼儀作法の面で日本の学校に円滑に適応できるような教育の場がオタワにも必要であり、補習校を設立すべきだ」と。松井公使のリーダーシップの下、大使館領事班の作永書記官が中心となり、鈴木勝康参事官の賛同を得て、93年7月に学校設立準備委員会が発足するのです。学校設立準備委員会は、急ピッチで、補習校開校に向けて実務的な準備を進めます。補習校の運営の仕組みは、先輩であるモントリオール補習校の全面的な協力で組み立てます。また、トロントとワシントンD.C.の補習校も様々な関連情報を提供してくれました。校則も定めました。
そして、1993年11月6日(土)、オタワ補修校の開校式が執り行われました。校舎は、リドー高校の2つの教室の借用です。クラスは、3学年複式学級で、低学年(小学1、2、3年)と高学年(小学4、5、6年)の2つ。全校生徒数は14人。正規教員は、神田教諭と中原教諭の2人。ボランティア教員は、大使館の青木書記官夫人と松井公使夫人の2人でした。指導教科は、国語と算数でした。名誉校長は松井公使。運営委員長と校長は三田康志氏でした
『オタワ補習校要覧』には、学校設立の経緯が記されています。「ほんの小さい学校であったが、設立者や父母、教師の一丸となった熱意に支えられての補習校の船出であった。」と記述されています。非常に淡々とした描写の中に、補習校関係者の矜持が滲んでいると思います。

入学式
出典:在カナダ日本大使館
補習校の今〜文集「軌跡」
「ほんの小さい学校」だったオタワ補習校は、次のとおり、今や立派な学校へと発展しています。生徒数の増加と予算規模の拡大、納税の問題や事故の際の責任の明確化の必要性もあって、2018年9月にNPO法人化されました。
2025年4月現在、小学1年から中学3年までの9クラスで、生徒数は78人です。運営委員会は、運営委員長、校長、副校長を含め9人で構成されています。そこに大使館の領事班長が特別委員として参画しています。教員は現地採用の講師9人。土曜日の午前9時から午後1時30分まで、国語と算数(数学)の2教科を日本の教科書に基づいて教えています。
何事においてもそうですが、教育は特に一朝一夕に成果が目に見える訳ではありません。日々の積み重ねと長年に亘る一貫した努力の先に、成果が徐々に姿を現すのです。勿論、教育の成果は、生徒の人生にも関わるものですし簡単に定量化出来るものではありませんが、一つの例をあげたいと思います。
毎年、春になると、「軌跡」と題する、オタワ補習校の文集が発刊されます。ここには、小学1年から中学3年の全生徒の作文が掲載されています。令和6年版を先日頂戴しました。目を通すと、小学生から中学生の頃の自分は如何だっただろうかと思わずにはいられなくなります。生徒たちが今を懸命に生きている様子が分かる気がします。
文集には、各種の文芸作品コンクールに関する受賞報告も掲載されています。一部紹介すると、令和6年度「全国児童才能開発コンテスト」について、6,795の応募作品の中から、オタワ補習校3年生H.M.さんの『君の未来は私が作るよ』が作文部門で文部科学大臣賞を受賞しています。
また、令和6年度 「海外子女文芸作品コンクール」は各国に所在する日本関連の学校217校が参加しました。そのうち20校だけが「学校賞」を受賞していますが、オタワ補習校も受賞しています。各賞は、総応募作品29,820の中から501作品が入賞しましたが、オタワ補習校から213作品応募し14作品が入選しています。素晴らしい成果です。

文集『軌跡』
出典:在カナダ日本大使館
補習校訪問の印象
冒頭に述べたとおり、私は入学式や卒業式をはじめ様々な機会に補習校を訪れています。そして訪問する度に、補習校に集う生徒や御父兄、先生方に関する新たな発見や感動があるのです。本当に素晴らしい学校だと実感しています。幾つかの個人的印象を述べたいと思います。
〈校歌〉
入学式や卒業式はじめ、私が招待されるような機会には、必ず校歌斉唱があります。聞くたびに、歌詞も旋律も共に非常に良く出来た素敵な校歌だと実感します。補習校の生徒がピアノやヴァイオリンで伴奏するのもいい感じです。せっかくの機会ですので、ここに歌詞を全て掲載します。
1 広いカナダの大地のように
夢を抱いて我らは学ぶ
希望を抱いて今日も行く
日本とカナダをつなぐために
ああ 我らはオタワ補習校
2 リドー運河の歴史のように
築いてゆこう我らの未来
友情はぐくみ今日も行く
手を取り合って微笑んで
ああ 我らはオタワ補習校
3 豊かなガティノの緑のように
無限に広がる我らの未来
誇りを持って明日も行く
日本とカナダを結ぶために
ああ 我らはオタワ補習校
オタワ補習校の校歌は、2007(平成19)年に出来ました。歌詞は生徒から募集し、それを基に保護者有志が練り、先生方が編集して出来上がりました。作曲は、保護者であった古賀幸子さんです。
式典等で全校生徒と先生方、運営委員会、御父兄、更には来賓の方々が歌うと、そこに一体感が芽生えます。かく云う私もそんな思いもあって今回の「オタワ便り」で補習校を取り上げている次第です。

校歌斉唱
出典:オタワ補習校
〈運動会〉
実は、この原稿を仕上げたのは、オタワ時間で5月31日の土曜日の夜なのですが、この日は補習校の運動会の日でした。前日からの雷雨で順延の心配もありましたが、何とか天気は持ち直しました。校長先生の決断と補習校の団結を如実に示しました。今年も、開会の挨拶の後、皆でラジオ体操も行いました。小学1年から中学3年までの全校生徒と先生方、御家族、来賓を含めて全員がグラウンド全面に広がってラジオ体操をするのは圧巻でした。そして、紅組と白組に別れて、各種目が行われました。
感動するのは、生徒の安全と健康に十分に配慮した上で家族も含め全員が楽しめる種目が選定されたプログラムが作成され、計画通りしっかりと運営されていることです。しかも、ムカデ競争、障害物競争やどら焼き食い競争、玉入れ等々の備品は、全て運営委員会と御父兄による手作りです。きめ細かい準備は流石です。
生徒と家族の笑い声と嬌声に包まれた興奮と華やかさに彩られた運動会ですが、御父兄と運営委員会の情熱の賜物だと実感します。

運動会
出典:在カナダ日本大使館
〈宿題〉
補習校に足を運ぶ度に頻繁に耳にする単語があります。「宿題」です。補習校生活において、宿題は非常に大きな比重を占めていることが分かります。と云うのも、実際の授業は土曜日だけですから、日本の教科書を完了する観点からは、月曜日から金曜日までは自宅で勉強しておくことが大切なのです。とは云え、宿題をする生徒にとって、現地校の勉強をしながら、補習校の宿題をこなすのは大変です。それでも、生徒にとっては頭脳が鍛えられるので、苦労はするけれど得るものも大きい訳です。
ここで強調したいのは、宿題を準備する先生のコミットメントです。教育者として生徒の能力を最大限に伸ばすために労を惜しまない姿勢に頭が下がります。
更に、もう一つだけ宿題に関し、印象深い事は、卒業式における卒業生代表の答辞です。「毎週課される宿題は本当に大変で、逃げ出したかったし、泣きながらやっていました。 でも、今から振り返れば、やって本当に良かったと思います。先生方、宿題をつくるのも大変だったと思います。本当にありがとうございました。そして、在校生の皆さん、宿題は必ず将来の力になるから絶対に歯を食いしばってやって下さい。卒業する頃には実感しますから」と自らの言葉で話す様子は忘れられません。
〈卒業生の溢れる母校愛〉
補習校は中学3年までなので、高校に進学すると補習校での授業はありません。 それでも、毎年、卒業生の中から数人は、ボランティアとして補習校をサポートしています。高校に通い授業やクラブ活動等で多忙な中で貴重な週末を、毎週土曜日に補習校に来て、生徒の相談に乗ったり授業の補佐をしたりしているのです。誰に強要された訳でもないのにです。
その背景にあるのは、補習校が本当に自己形成に大きな影響を与えたという実感のようです。月曜日から金曜日までの現地校に通いながら、土曜日の補習校に通い膨大な宿題をこなすのは、決して容易ではありません。泣きながら漢字を覚え、現地校に比べれば遥かに高度な算数・数学を学びます。知らず知らずのうちに鍛えられた頭脳と精神力の意義を知る頃に卒業です。すると何人かの卒業生は、是非とも後輩にも挫けることなく補習校を全うして欲しいと願うのです。
生徒によっては9年間を補習校で過ごしています。補習校への愛着は半端ありません。
補習校の未来
1993年に補習校が設立されて32年が経ちました。この間、生徒数も教員数も、教育内容も大きく発展して来ました。補習校関係者のたゆまぬ努力の賜物です。決して容易ではなかった状況で補習校を設立された我々の先輩方に、改めて心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。
そして、設立に携わられた諸先輩の情熱とヴィジョンは、先生方、運営委員会の尽力と御父兄の献身的なサポート体制も合間って、実を結び、更に輝かしい未来がオタワ補習校を待っていると思います。と申しますのも、今や日本文化はカナダの社会で幅広く受け入れられ、深く愛され、高く評価されているからです。アニメや日本食、柔道・剣道・空手等の武道、生花や茶道をはじめ、老若男女を問いません。昨年のカナダ人の訪日人数は、58万人で、コロナ前を含め史上最多です。今年は、それを上回る見込みです。日本文化への関心は、日本語への関心にも直結しています。その意味でも、カナダの首都オタワで、日本語での教育に特化している補習校の存在意義が光ります。
また、今日の世界は、あらゆる分野でグローバル化が進んでいます。一面ではグローバル・サプライチェーンが抱える脆弱性が経済安全保障の論議を呼んでいますが、政治・経済・ビジネス・学術・教育・スポーツ・芸術等の実態を見れば、日本の中で自己完結するものは非常に限られています。要するに、国際的人材が必要なのです。そんな人材を排出する補習校の役割がますます大きくなっています。
その観点で、補習校で学ぶ生徒の多様性は特筆に値します。国籍や血脈に捉われることなく、日本語の授業にしっかり対応し膨大な宿題もきちんと提出し、各種学校行事へも積極的に参加する意思と能力のある生徒が集っています。補習校は、生徒たちの将来を拓き、ひいては日本とカナダの友好親善に大きく寄与することが期待できます。例えば、この夏、オタワ芸術高校のオーケストラが訪日し、約1ヶ月に亘り各地で公演すると同時に交流プログラムにも参加します。そのメンバーには、補習校の卒業生もいます。
結語
以上述べたように補習校は大変に意義深く、我々の先輩が設立に直接関わった歴史的経緯も踏まえれば、大使館として、出来るだけのサポートをしなければならないと確信しています。
いずれ、卒業生の中から、日本、カナダ或いは国際社会を牽引する人材が現れる日も遠くないかもしれません。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
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