Column: オタワ便り NO.41 (2025年9月)
「もう一つの8月9日女川とロバート・ハンプトン・グレイ」
山野内在カナダ大使
日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、こんにちは。
はじめに
8月は夏休み真っ最中です。今年はオタワでも35℃を超える日があり、地球温暖化を実感しました。同時に、8月になると戦争と平和について改めて思いを致す機会も増えます。特に、今年は、第二次世界大戦が終結してから80年の節目の年。特別です。カナダ戦争博物館でも関連の展示が行われています。加えて、首都圏のオタワ市やガティノー市では、8月6日と9日に、広島・長崎の原爆犠牲者への慰霊と平和へも願いが込められた式典も行われました。
私事で恐縮ですが、長崎県出身の私にとっては、8月9日午前11時2分は、物心ついた頃から特別でした。小学3年生の社会科の授業の一環で平和公園と平和記念館を訪れた時のことはリアルに憶えています。11時2分で止まった歪んだ柱時計等の遺品、原爆投下直後の長崎や犠牲者の方々の写真等々。その夜は怖くてなかなか寝付けませんでした。
そんな私に、ハリファックスから1枚の招待状が届きます。曰く、8月9日にカナダ海軍の新しい北極・沖合哨戒艦(Arctic and Offshore Patrol Ship: AOPS)への命名式が挙行される、駐カナダ日本大使を謹んで招待したい、艦名はHMCSロバート・ハンプトン・グレイだ、と。因みに、グレイ大尉は、後述のとおりカナダ海軍においても、日加関係においても特別な存在です。そして、ハリファックスはカナダ海軍の拠点にして、この哨戒艦を建造したアーヴィング造船所の所在地でもあります。
という訳で、今回の「オタワ便り」は、HMCSロバート・ハンプトン・グレイが映し出す日加関係の進展について書きたいと思います。

『命名式記念盾』 出典: 在カナダ日本国大使館
ロバート・ハンプトン・グレイ大尉
「オタワ便り」第21回(2024年1月)に記したとおり、ローバート・ハンプトン・グレイは、カナダ海軍航空大尉で、第二次世界大戦末期、1945年8月9日の連合国側による宮城県牡鹿半島の女川湾の空襲・海戦(以下「女川空襲」)の遂行中に戦死しました。享年27歳。第二次世界大戦におけるカナダ軍人最後の戦死者と目されています。勇敢な行為から死後にヴィクトリア・クロス(VC)勲章を授けられた軍人です。実は、グレイ大尉は、今日に至るまでカナダ海軍史上唯一のVC勲章受賞者です。
カナダの歴史を振り返れば、フレンチ・インディアン戦争以来、節目節目で戦争に関わり、その結果、フランスと大英帝国の植民地からカナダという主権国家へと発展して来ました。首都オタワの中心部コンフェデレーション広場の北東の角に設置されたヴァリアント記念碑は、カナダが闘った戦争に関わる14人の英雄の胸像を集約しています。グレイ大尉はそんな英雄の1人です。

『ハンプトン・グレイ大尉』 出典: カナダ政府
一方、グレイ大尉は、戦後の日加関係の進展を象徴するカナダ人でもあります。とは云え、極めて率直に言えば、グレイ大尉の名前やその意味合いは、日本においては殆ど知られていません。それでも、彼が没した女川の地における慰霊碑の設置を巡る関係者の調整と協力は、日加間の友情の物語でもあります。詳細は本コラム第21回を参照頂くとして、概要を記します。1945年8月「女川空襲」で連合国側の死者はグレイ大尉のみ、対する日本側は、民間人も含め200名以上が犠牲となりました。戦後、時は流れ日加関係が発展。1989年カナダ側がグレイ大尉慰霊碑を女川に建てたいとの意向が伝えられると、地元では、家族の命を奪った「敵」の慰霊碑は受け入れ難いとの反対意見が圧倒的多数でした。そこに、地元で衣料品店を経営する元女川防備隊員の神田義男氏が過去の怨讐を乗り越えようと呼びかけます。関係者は葛藤しますが、最終的に受け入れます。昨日の敵が今日の友になったのです。
そこで、この北極・沖合哨戒艦の命名式はグレイ大尉の命日(1945年8月9日)に因んで計画されたのです。その上で、日加関係の重要性もあって、駐カナダ日本大使として私も招待されてた訳です。
大変に悩みました。今年80周年となる8月9日の長崎の原爆に関するオタワ・ガティノーにおける式典か、ハリファックスでの命名式か。身体が二つあればと思いました。結局、1泊2日でハリファックスに出張し、命名式に出席して参りました。
国家造船戦略と北極圏ミッション
まず、今般の命名式の主役である哨戒艦、HMCSロバート・ハンプトン・グレイ(以下「R・Hグレイ」)の来歴からです。HMCSとは、His Majesty’s Canadian Shipの略で、カナダ海軍所属の艦艇の正式な接頭辞で、カナダが立憲君主制国家であることを反映しています。
R・Hグレイは、カナダ海軍ハリー・デヴォルフ級の最新鋭の北極・沖合哨戒艦で、合計6隻が建造されている中の6番艦です。全長103メートル、排水量は満載で約6,600トン、速力は最高17ノット(約31km/h)、航続距離は6,800海里(約12,600km)です。乗組員は標準65名で、任務によって追加で40名を収容可能とのことです
主たる任務は、北極海域での主権維持、領海警備、災害対応、漁業監視、捜索救難、NATOや国際任務の支援等です。故に、北極という過酷な環境に対処し得る能力・機能が重要になる訳です。氷海航行能力は、厚さ2メートルの一年氷を3ノットで連続突破する砕氷機能を持つと伺いました。また、北極圏での展開・長期滞在を前提に設計され、断熱構造を持ち、強力な暖房・換気システムを完備。北極圏で補給なしで120日間の自立行動が可能ということです。更に、大型フライトデッキと格納庫を備えており、CH-148サイクロン対潜哨戒ヘリコプター、或いはCH149-コーモラント救難ヘリコプターが搭載可能です。更に、2隻の高速作業艇を搭載しているので、海氷淵での捜索救難に対処できます。北極圏でのミッションを遂行できます。
R・Hグレイを含む最新鋭の哨戒艦を6隻建造する計画は2011年に発表され、2018年から順次、建造が始まり、今般完結しました。この計画は、カナダ政府が打ち出した「国家造船戦略」に基づくもので、艦艇の更新を通じて防衛力と産業基盤の両方を支える長期的視野に立ったものと言えます。
命名式
命名式は、2025年8月9日午前11時、快晴の天気に恵まれて、ハリファックスのカナダ海軍基地にて行われました。冒頭、海軍司令官とアーヴィング造船所社長により、北極哨戒艦6番艦を正式にHMCSロバート・ハンプトン・グレイと命名する式典の開始が宣言されました。
現下の国際情勢をみれば、2024年に発表された最新の国防戦略「Our North, Strong and Free」に規定されているとおり、北極圏での任務はカナダ海軍にとって最重要ミッションの一つです。その艦船にグレイ大尉の名が付されることには、3つの文脈で意義深いと実感しました。第一に、カナダの国防政策、就中、北極の重要性。第二に、地元経済への貢献とアーヴィン造船所の技術力。そして、第三に、日加関係の進展です。
命名式には、多数の来賓があり、順次挨拶が行われました。最初は、マイク・サヴェージ州総督。次いで駐カナダ日本大使でした。国防大臣や公共事業調達大臣、海軍司令官よりも高い序列が与えられた訳です。挨拶の順番にはそれ相応の意味や配慮がある訳ですが、グレイ大尉を巡る日加関係に対しカナダ海軍が付している重要性と優先度の明快な表れだと思います。

『命名式にてスピーチする山野内大使』 出典: 在カナダ日本国大使館
私は、まず長崎出身の自分は悩んだ末に8月9日の原爆慰霊ではなく本件命名式に来たことを述べた上で、次の3点を指摘しました。
① グレイ大尉の名前は昨日の敵は今日に友を象徴しているが、更に同志国への進化も示している。
② グレイ大尉の名前がその意味を持つに至ったのは、神田義男氏の信念があればこそだ。国と国の関係も結局は個々人の関係の集積だ。本日は、神田氏の孫の義健さんと曾孫の惟吹君も命名式に招かれている。
③ 今日の日加関係は大きく発展し、「自由で開かれたインド太平洋」の実現に向け協力している中で、今後は北極での協力進展が期待される。R・Hグレイの就航は時宜に叶い、大変に意義深い。
特に、上記②の神田氏に言及した際には、会場から温かく大きな拍手が神田義健・惟吹の両名に送られました。胸が熱くなりました。
更に、来賓の方々が次々に祝意を述べました。 挨拶を締め括ったのはグレイ大尉の遺族代表のジェーン・アンダーウッド女史でした。
そして、海軍の伝統に則り、シップ・クリスニングの儀式が行われました。これこそ命名式の核心です。命名者であるアンダーウッド女史がロープを引っ張り、シャンパン・ボトルを新艦船の船側に打ち付けます。クラッシュ音とともに鮮やかなバブルが船側を流れ落ちます。と、同時に「I name you Robert Hampton Gray. Bless this ship and all who sail in it.」と宣言しました。満場の歓声が沸きました。快晴の中、その場にいる全ての人が笑顔でした。
滞りなく命名式が終わった後には、神田家とグレイ大尉の親族との周りには人垣が出来ていました。国と国の関係の土台には個々人の友情があるのだと得心する光景でした。それにしても、80年前のこの日に女川で戦死したグレイ大尉の遺産がハリファックスの海軍基地でこのように展開すると誰が想像したでしょうか。

『ボトル・ブレイク』 出典: 在カナダ日本国大使館
マックギンティー国防大臣とヘンウッド艦長
命名式に関連する一連の行事の機会に私はカナダ政府・海軍関係者と懇談する機会に恵まれました。
マックギンティー国防大臣とは、日加関係の発展と安全保障分野での協力の進展について意見交換しました。トランプ政権との関係も念頭に、今般のR・Hグレイの配備も含めて北極の重要性について一致しました。更には、新しいNATO基準を視野にカナダの国防費の抜本的な増大について力説されました。インド太平洋戦略等々話は尽きませんでした。
また、トプシー海軍司令官やスパイザー=ブランシェット空軍司令官らとも懇談しました。その上で、R・Hグレイのブライアン・ヘンウッド艦長との面談が非常に印象深かったです。艦長は歴戦練磨の海の軍人という印象を与える屈強の大男です。「前職も北極海の監視を任務とする艦船の艦長でした。中国の不審船を追跡した経験もあります。北極海を巡る地政学は日に日に厳しくなっていると実感します。R・Hグレイは、前職の任務艦よりも大きく強力な艦です。しっかりミッションを果たす覚悟です」と語ってくれました。

『命名式での集合写真』 出典: 在カナダ日本国大使館
R・Hグレイは、船体・主要機関が完成し命名式を経てカナダ海軍に引き渡されます。今後は、半年ほどかけて、指揮・通信システム、レーダー・センサー類、航海・兵装管制用コンピューター等の最終インストールと調整が行われます。その後に乗員訓練、更に洋上試験が順次行われ、実任務に投入される訳です。よって、R・Hグレイは2026年春以降に、実任務に就くことになると想定されています。ハリファックスを出航し、北極海の北西航路を通って、太平洋側に出て、母港となるブリティッシュ・コロンビア州ヴィクトリア近郊のエスカイモルト基地に着任することになります。新たに就航する6隻の北極哨戒艦のうち5隻は大西洋側のハリファックス基地を拠点としますが、R・Hグレイのみが太平洋側に配備されるのです。
懇談の中で、ヘンウッド艦長は、カナダ海軍の英雄の名を冠した艦船の艦長に就任したことを誇らしく思う旨述べました。また、北極圏の重要性が高まる中、日本との様々な協力・協働も期待していました。更に、グレイ大尉が没した女川への寄港も早期に実現したいとの思いを語ってくれました。
女川湾はリアス式の天然の良港で、それ故に太平洋戦争末期に帝国海軍の艦船が集結。連合国側はその極秘情報を得て女川空襲を敢行し、グレイ大尉は作戦遂行中に没した訳です。R・Hグレイの女川寄港が実現すれば、日加関係の進展を象徴する出来事となると確信します。

『神田家とグレイ大尉ご親戚』 出典: 在カナダ日本国大使館
結語
繰り返しになりますが、ロバート・ハンプトン・グレイ大尉の名前は、日加関係の文脈では、過去の怨讐を乗り越えて、昨日の敵が今日の友となった、という意味合いを持っています。今般、北極哨戒艦の艦名になったことから、グレイ大尉の名前には、更に深い持つ意味合いが加わったと思います。その意味では、キャッチフレーズ的に言えば、「昨日の敵が今日の友になり、明日の平和のための同志国となる」のだと思います。勿論、日米同盟は世界に冠たる好例ですが、日加関係も大きく進展していると実感します。
従来から、資源大国カナダとの経済・ビジネス面での関係は緊密ですが、厳しい地政学的現実の下、安全保障の分野での日加協力が進展しています。外交において、時に、特定の人物が象徴的な意味を持ちます。80年前の8月9日に女川で戦死したロバート・ハンプトン・グレイ大尉。21世紀の新しい日加関係を象徴する人物と言えるでしょう。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。
Halifax/ハリファックス
Novascotia/ノバスコシア州
- ノバスコシア州について