Column: オタワ便り NO.44 (2025年12月)
文化交流の真髄〜加日文学賞
山野内在カナダ大使
日加協会の皆様、日加関係を応援頂いている皆様、こんにちは。
はじめに
今年、オタワの冬は例年よりも早く本格化しているようです。それを実感する出来事がありました。
私事ですが、次の2つの公務のために、私は、11月9日(日)16:35オタワ空港発トロント=ビリー・ビショップ空港着のポーター航空のPD2262便でトロントに飛びました。通常であれば、時刻表どおりのフライトに定評のあるポーター航空ですが、実は、この日は今季初の積雪。カナダや米国北部を結ぶ各便が大幅に遅延したり、キャンセルされました。幸いにも、この便はキャンセルを免れたものの、空港ラウンジで5時間待たされ、搭乗してからも1時間以上待たされました。トロントのホテルにチェックインしたのは午前0時を過ぎていました。兎に角、これで翌日からの公務に支障は出ないと思うとホッとしました。
「オタワの雪」
写真提供: 山野内大使
11月10日、トロント大学から招待を受けて、2019年にリチウム・イオン電池発明の功績でノーベル化学賞を受賞された吉野彰博士の特別記念講演に参加しました。「電池革命の父」と称される吉野博士の長年に渡る地道な研究を導いた研究者魂に感銘を受けました。 聴講した若い学生・ポスドク・研究者に大きな刺激だったと思います。
翌日からは、トロントから約130km南のナイアガラ・オン・ザ・レイクでG7外相会合が開催されました。最近、ワイン産地としての評価を急速に高めている地域です。カナダの誇る一面を示すと同時に、都市の喧騒から離れてリトリート方式で、寛いだ中で率直に議論したいという主催者、アナンド外相の意図です。茂木外相は、ウクライナ・中東情勢に関する議論に加え、「自由で開かれたインド太平洋」の実現という観点から議論を展開されました。また、アナンド外相とも二国間会談を行い、日加両国が一層の協力を進める点で一致しました。日加関係の深化を実感しました。
「G7外相会合」
写真出典: 外務省
そして、帰途、ナイアガラ・オン・ザ・レイクの葡萄畑を車窓から眺めながら、G7外相会合を振り返りつつ、今日の極めて良好な日加関係について考えていました。その時に、強固な日加関係の土台には人と人の交流、相互理解・尊敬が在ると改めて実感しました。そんな折、G7外相会合の翌週、オタワで2024年度「加日文学賞」の授賞式が開催されました。共催者の1人として私も出席しましたが、強く印象に残る式でした。という訳で、今回の「オタワ便り」は、加日文学賞についてです。
加日文学賞とは?
日加文学賞(Canada-Japan Literary Awards/ Prix littéraires Canada-Japon)を知っている人は率直に言って多くはありません。しかし、加日文学賞は日加間の公式な外交関係樹立60周年に当たる1988年に設立され、40年にならんとする歴史を有しています。
カナダ人或いはカナダ在住の作家による日本に関連する事柄、或いは日本とカナダの相互理解促進に資する文学的に優れた作品を表彰するものです。フィクション、ノンフィクション、詩、演劇、翻訳の5つのカテゴリーがありますが、実態はあらゆるジャンルに門戸は開かれています。カナダの公用語は英語とフランス語ですから、英語書籍とフランス語が一冊づつ表彰されています。副賞として、10,000加ドルが授与されます。
加日文学賞の目的は、日本とカナダの間の相互理解と文化交流の促進ということに尽きます。その上で、カナダ国内における日本関連の多様な書籍の一層の浸透を支援するプラットフォームの役割もあります。対日理解促進という観点からは、書き下ろしに加えて、既に出版された日本語書籍の英仏語への翻訳も非常に重要です。また、日本の政治経済文化或いは日加関係をテーマとした創作や研究の促進も期待されています。
現在、加日文学賞は隔年で実施されていますが、相互理解と文化交流の実を着実にあげていくためには、運営・管理は極めて重要です。加日文学賞は、カナダ芸術審議会(Canada Council for the Arts/ Conseil des arts du Canada)が運営・管理しています。1957年設立の独立行政機関で、カナダの芸術の支援・振興を担っています。そして、加日文学賞の運営資金の一部は、日加両国の芸術文化コミュニティーの絆を一層強化することを目的として設立された加日基金から出資されています。
世界各国には実に多彩な文学賞がありますが、その中にあって、加日文学賞は日本とカナダの関係に特化した唯一の文学賞です。日加関係の深化に大きく資するものです。
受賞作選定プロセス
さて、如何なる文学賞であってもその核心は、数多ある書籍の中から、真に価値のある作品を選定することです。加日文学賞については、カナダの読者にインパクトを与え得る日本とカナダに関連する作品を選択することにあります。そのために、カナダ芸術審議会が採用する厳格な方式により選考が行われています。整理すると次の7段階で受賞作が決まり、発表されます。
① 応募・推薦の受付 : 2024年度は、2022年5月1日から2024年4月30日までの間に出版された書籍が対象。申請は、著者、翻訳者、出版社いずれでも可能。
② 資格審査 : カナダ芸術審議会スタッフが、形式要件をチェック。
③ 審査委員会の選定:カナダ芸術審議会が外部の完全に独立した3〜5名の審査員からなる審査委員会(jury)を設置する。英語部門とフランス語部門で別々の審査委員会となる。専門性と多様性を考慮しつつ、利害関係を排除した公平性を重視。
④ 第一次審査:各審査員は全ての応募作を読み込み、評価し、それぞれの候補作リストを作成。
⑤ 第二次審査:審査員が参集し、個別評価を共有し、候補作リストを統合。議論を重ね、候補作を絞り込み、英語1作・フランス語1作の受賞作を決定。この段階では、カナダ芸術審議会は選考には一切関与しない。
⑥ 審査員による決定は、カナダ芸術審議会に報告され、正式承認。
⑦ 受賞作発表:カナダ芸術審議会の公式HPに掲載すると同時にプレスリリースを発出。
2024年度「加日文学賞」授賞式
このような厳格なプロセスを経て選定された2024年度「加日文学賞」は、英語書籍部門の受賞作がアート・ミキ著「GAMAN〜Perseverance-Japanese Canadians’ Journey to Justice」(Talonbooks出版)です。
フランス語書籍部門は、エティエンヌ・ルー・ジョバン氏の「Penriuk et sa douleur: Ossements aïnous retenus prisonners」が受賞しました。それぞれの書籍の概要は後述します。
授賞式は、11月19日、カナダ芸術審議会のホールに於いて、受賞者の御家族、出版社等の関係者の参加を得て、開催されました。加日議連メンバーも来賓として参加頂きました。
冒頭は、カナダ芸術審議会のミシェル・シャウラ会長から祝辞があり、次いで私からも多様で多彩な文学が二国間の相互理解・尊敬、友好親善に果たす役割について言及し、現下の厳しい国際情勢の中で人々に希望を与える旨述べ、祝意を伝えました。
更に、ブロック・ケベコワ党のイヴ=フランソワ・ブランシェ党首が連邦議会開会中の超多忙な政治日程を押して駆けつけて、英語とフランス語を駆使し、加日関係の発展と文化交流について力説。受賞者に深い敬意を表されました。
その後、アート・ミキ氏、エティエンヌ・ルー・ジョバン氏にそれぞれ賞状が授与されました。受賞のスピーチは、著作への深い思いが滲むもので、式典参加者の胸に迫るものでした。
式典後のレセプションでは、受賞者と御家族、参加者の和気あいあいとした懇談が続いていました。当館から提供した太巻き等の和食と日本酒は、非常に人気で、人と人の交流、日本文化の浸透に一役買っていました。
「受賞者の集合写真」
写真出典: 在カナダ日本国大使館
〈GAMAN〉
「GAMAN」は著者が辿った苦難の道程が事実に基づき冷静・客観的に記述されており、社会的なインパクトの大きな作品です。実は、「オタワ便り」第24回にも書きましたが、2023年12月にアート・ミキ氏の地元ウィニペグの人権博物館にて行われた「GAMAN」出版記念式に参加し、大きな感銘を受けたことを鮮明に憶えております。加日文学賞の受賞は誠に意義深いと考えます。
改めて、概略を記せば次のとおりです。
第二次世界大戦中、日系カナダ人は、強制的に収容キャンプに拘束され、財産を没収されました。これに対し、戦後、日系カナダ人は、世代を超えて、正義を求めて立ち上がり、連邦政府に対し、公式の謝罪と財産の補償を要求しました。それがリドレス運動です。「GAMAN」は、それを見事に描いているのです。著者のアート・ミキ氏は、1936年バンクーバー生まれの日系2世で、終戦の時に9歳。長じて、全カナダ日系人協会(NAJC : National Association of Japanese Canadians)の会長となり、リドレス運動を牽引した人物です。1977年の日本移民100周年を機に、リドレス運動が本格化し、1984年のマルルーニ政権の誕生で、リドレス交渉が緒に就きました。しかし、全ての交渉がそうであるように、悪魔は細部に宿り、交渉は難航し決裂寸前に至ったこともあった訳です。
が、遂に1988年9月22日、リドレス合意書にマルルーニ首相とミキNAJC会長が署名。連邦議会議事堂で、マルルーニ首相は、公式に謝罪し、個人補償を含む総額3億600万ドルの支払いを表明しました。終戦から43年を経て、不正義は正されたのです。
リドレス運動は、その最終局面においては、先住民やユダヤ系を含む幅広いエスニック・グループの合計61団体からの支援を受けるまでに拡大しました。戦時中の日系人に限定されるのではなく、カナダ社会の正義の問題となった訳です。実際、1988年のリドレス合意は、それ以降の様々な和解の貴重なモデルとなったと言われています。
アート・ミキ氏と面談した際には、「謝罪と補償をめぐり、日系人の中にも実に様々な意見があり、針の穴に象を通すような難しい合意だった」と述懐されていました。深い思いを込めて語るミキ氏の印象的な姿は忘れられません。
「GAMAN」表紙
写真出典: カナダ芸術審議会
〈Penriuk et sa douleur: Ossement aïnous retenus prisonners〉
これは、札幌在住の作家土橋芳美氏の詩集「痛みのペンリウク 囚われのアイヌ人骨」のフランス語訳です。ペンリウクは明治期のアイヌ民族の首長で、土橋氏の先祖にあたるそうです。この詩集は、アイヌ民族の遺骨盗掘事件がテーマ。長編叙事詩として刊行されました。背景には、先住民研究に取り組む研究者らの熱意があると伝えられています。2017年の北海道新聞文学賞・詩部門の佳作も受賞されています。
翻訳者のジョバン氏はモントリオール在住の翻訳学者。JETプログラムで訪日し3年間に渡り愛媛にて英語の補助教員をされました。その後は、国費留学生として立教大学の大学院で研究を続けられました。
フランス語の翻訳本は2023年にケベック大学出版局から刊行されました。今回の受賞理由について、カナダ芸術審議会は「消されかけた人々に声を与えるという文学の力を体現し、先住民コミュニティーの痛みに寄り添っている」と評しています。
ケベック州には、11の先住民族、計12万人余りが暮らしていますが、先住民とその文化の保護と継承が重要な課題となっています。そんな中、アイヌの首長ペンリウクを巡る物語の仏語訳は、特にフランス語圏のケベック州にとっては直裁に響く内容です。
「Penriuk et sa douleur Ossement aïnous retenus prisonners」表紙
写真出典: カナダ芸術審議会
結語
多くの人にとって、外国を知る上で書物こそ最良の機会だと言えます。「加日文学賞」は、日本とカナダの文化交流の核の一つです。
2024年度受賞作の「GAMAN」も「痛みのペンリウク」も、困難な状況を直視し、状況を克服し、より良き社会をつくろうという善意と情熱を描いています。今、私たちは、日々ショッキングなニュースが報じられる激動の時代に生きています。過去を振り返るどころか、過去の出来事があっという間に忘却の彼方に追いやられています。しかし、リドレス運動もペンリウクの遺骨返還運動も次の世代へと語り継いでいかなければなりません。是非、多くの人に読んで頂きたいと思います。
文学を通じて日本とカナダの間に架け橋をつくることを願って創設された「加日文学賞」の真髄がここにあると思います。
(了)
文中のリンクは日加協会においてはったものです。