オタワ初の日本映画週間〜新しい歴史の始まり

山野内在カナダ大使

日加協会の皆様、日本とカナダの友好関係の発展を応援して頂いている皆様、こんにちは。

はじめに

オタワの7月は、7月1日のカナダ・デーから始まります。例年、カナダ・デーは天候に恵まれるのですが、今年はオタワでは嵐に襲われ、市内の一部では停電も発生しました。泣く子と自然には敵いません。

さて、カナダ・デーに思いを寄せれば、159年前の今日、大英帝国の自治領、ドミニオン・オブ・カナダが発足したことに因んだ、カナダ建国の日です。カナダ人にとって1年で一番盛り上がる日です。カナダという国家とカナダ人としてのアイデンティティーを噛み締める日と言えるでしょう。

ここで興味深いのは、移民国家にして多文化主義のモザイク国家のカナダにとってのアイデンティティーとは何かという問いかけです。人種という意味では、159年の歴史の中で、建国当初は英国系とフランス系が人口の大部分でした。20世紀になって、英仏以外の西欧諸国からの移民が増え、やがて南欧・北欧・東欧から、アジアからは中国、そして日本からの移民が増えます。第二次世界大戦中のみならず、戦後も差別は続きました。基本的に自由と多様性を尊ぶカナダですが、深い闇の歴史と無縁ではありませんでした。20世紀初頭の排日運動や差別的な移民政策、第二世界大戦中の日系カナダ人の強制収容がありました。日系人の方々の大変な尽力で公式謝罪と個人補償を含むリドレス合意という形で克服されました。先住民との関係は、今この瞬間もセンシティブな課題です。それでも、ダークサイドから逃げず、直視し、公式に謝罪もし、より良き国を現在進行形でつくっています。

カナダ・デーに際して、こんな感想を持ったのですが、最近の日加関係は、2026年3月のカーニー首相訪日の際の、共同声明と「包括的戦略的ロードマップ」に示されるように、政治・安全保障、ビジネス、経済安全保障から学術・文化交流まで、実に幅広く充実しています。特に、訪日観光への憧れを含め、最近のカナダの方々の日本文化への関心の深まりには、目を見張るものがあります。

そんな中、今年の6月25日から7月2日まで、オタワにおいて史上初めてとなる「日本映画週間  (The Japanese Film Week)」が開催されました。

という訳で、今回の「オタワ便り」は、カナダ建国から今日に至る日加関係の文脈で、日加間の文化交流、日本文化、就中映画について考えてみたいと思います。

日加関係の創世記

実は、日本とカナダの関係は、カナダ自治領成立以前からありました。記録に残る最初の日本人のカナダ来訪は、尾張国の音吉・岩吉・久吉の3兄弟が1834年に今のブリティッシュ・コロンビア州と米国ワシントン州の境界周辺に漂着したことに遡ります。詳細は、三浦綾子『海嶺』に譲りますが、当時は英国領でしたから、ハドソン湾会社が3兄弟を救出しロンドンへ連れていきました。

初めて日本に来たカナダ人はラナルド・マクドナルドで、1848年のことです。カナダ自治領建国以前ですから国籍は英国人ですが、父がスコットランド出身のハドソン湾会社の重役で母がチヌーク族の大首長の娘。こちらは、吉村昭『海の祭礼』で描かれています。マクドナルドは、数奇な運命を経て日本初のネイティブの英語教師となって、江戸幕府の通事を教育し、マクドナルドの一番弟子、森山栄之助は、ペリー来訪の際に通訳を務めています。

その後、カナダ建国後の1873年、日本に来た最初のカナダ人は、メソジスト教会の二人の宣教師、ジョージ・コクランとデイビットソン・マクドナルドでした。二人は東洋英和女学院と麻布中学・高校の前身となる私立学校を創設します。そして、1877年には、初の日本人カナダ移民とされる永野萬蔵がバンクーバーに移住して来たのでした。その後、多くの日本人移民が太平洋を超えて新天地、カナダへやって来ました。

実は、カナダと日本の間で、徐々に人物往来が深まり、交易が発展し始めた頃、世界で映画が誕生しつつあったのです。次に、映画の創世記をみてみましょう。

映画の勃興

映画の前史を遡れば、19世紀前半には、人間の目の残像効果を利用して「絵が動いて見える」装置が作られていたそうです。フェナキストスコープとかゾートロープと呼ばれる、動く絵の見世物でした。

1870年代になると、英国の写真家エドワード・マイブリッジが馬の走る様子を連続写真で撮影。運動を分解して見せました。これは、エンタテインメントというより、実験・記録的な要素が強かったと言われています。

映画の土台を作ったのは、トーマス・エジソンです。1890年代前半、彼の研究所で開発されたキネストコープが、科学的実験から商業的な娯楽へと進化させたのです。但し、この段階では、巨大なスクリーンに映写するのではなく、一人ずつ箱を覗き込んで見る装置でした

そして、いよいよ今日的な意味での映画が誕生するのが、1895年12月28日です。パリのリュミエール兄弟による有料上映です。多数の観客が暗い部屋で同時に見る公共的娯楽の幕開けです。この頃は、街頭風景、工場、列車、軍隊など興味を引く被写体の短い記録映画でしかありません。とは言え、19世紀末の人々にとって、世界をありのままに動く姿で見せる驚異の革命的なメディアでした。

因みに、映画が記録から物語・幻想・演出の芸術へと進化する嚆矢となったのは、フランスのジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』です。

19世紀前半に、科学の実験として始まった映画が、技術の発展にともない都市の大衆の娯楽となります。20世紀に入り、サイレント映画から音声を含む所謂トーキー映となり、白黒からカラーに進化します。米国では、ハリウッドに映画・エンタメ産業が集積し、総合芸術とビジネスの両面で開花していきます。

日本映画〜勃興と発展と衰退と復活と

一方、日本では、1897年に初めて映画が持ち込まれると、明治の人々を魅了し、独自の発展を遂げます。

当初は、「映画」という言葉はなく、「活動写真」と呼ばれていました。歌舞伎や新派演劇をそのまま撮影した活動写真が主流でした。無声映画時代ですから、活弁士(活動写真弁士)がスクリーンの横で登場人物のセリフを一人で何役もの声色を使い分け実際に話しているように演じつつ、状況を分かりやすく説明します。人気の活弁士は映画スター並みに人気があったといいます。

1920年代から30年代にかけて、無声映画の「活動写真」は、音声入りの「映画」へと発展します。松竹、日活、東宝、大映というメジャーが勢力を築き、時代劇と現代劇の両面で映画スターを輩出しました。小津安二郎、溝口健二ら後に世界的な名匠となる名監督が登場します。

戦時中は、国家総動員体制の一翼をなり、戦意高揚のため当局に利用された暗い時代がありました。

映画『羅生門』より

映画『東京物語』ポスター

戦後は、「表現の自由」を得て日本映画は全てを失った日本人に娯楽を提供します。そして、1951年のベネチア国際映画祭で黒澤明監督の『羅生門』が金獅子賞を受賞します。それまで世界ではほとんど知られていなかった日本映画が一躍注目される契機となりました。実は、公開当初は日本国内では高い評価があった訳ではなかったのですが、世界三大映画祭で最高の賞を得たことで、国民が誇りを感じたと言います。翌年には、溝口健二の『西鶴一代女』がベネチア映画祭で国際賞を受賞。小津安二郎の『東京物語』も国際的に高い評価を得ます。黒澤・溝口・小津は、国際的に日本の三大巨匠と称され、日本映画の黄金時代を築きました。

その後、テレビの普及で、映画産業は厳しい時代に直面します。急速に観客を失い、1960年代以降長い低迷期に入りました。企業の整理・再編・統合もありました。しかし、1980年代以降、アニメ、独立系監督、国際映画祭での評価、そしてシネマコンプレックスの普及によって日本映画は、大衆娯楽と芸術表現の双方で復活しました。

その後、テレビの普及で、映画産業は厳しい時代に直面します。急速に観客を失い、1960年代以降長い低迷期に入りました。企業の整理・再編・統合もありました。しかし、1980年代以降、アニメ、独立系監督、国際映画祭での評価、そしてシネマコンプレックスの普及によって日本映画は、大衆娯楽と芸術表現の双方で復活しました。

カナダにおける日本映画

このような発展を遂げて来た日本映画ですが、カナダにおいても関心が高まると同時に高い評価を得るようになって来ました。映画ファンとして嬉しいのは、①黒澤・溝口・小津らの古典的な映画、②宮崎ジブリらのアニメ、そして③是枝・濱口ら現代作家の作品が、芸術とエンタテインメントとの両面で重層的に評価されている点です。

そこで、カナダにおける日本映画の発信拠点として、長年、日本映画を紹介してきているトロント、モントリオール、バンクーバーの取り組みを簡潔に紹介します。

《トロント》

北米第3位の大都市トロントは、TIFF(トロント国際映画祭)でも知られる、国際映画の拠点の一つです。今や、北米最大級の映画祭となったTIFFには、毎年、選りすぐりの日本映画が参画し、監督や俳優もいらっしゃいます。2023年のTIFFでは、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』がオープニング作品となりました。TIFF史上初のアニメによる開幕作品でした。

また、民間ビジネスベースのTIFFに加えて、「カナダ日系文化会館(JCCC)」が主催する「トロント日本映画祭」も注目です。2012年に創設され、毎年6月に開催されています。国際交流基金や在トロント日本総領事館などが支援させて頂いています。日本アカデミー賞受賞作品などが上映されています。今年は15周年の記念すべき年でした。93歳の山田洋次監督の『Tokyo タクシー』がカナダ・プレミアムでした。

《モントリオール》

文化都市モントリオールでは、日本映画は地元に根付いた文化的存在です。「シネマテーク・ケベコワーズ」で毎年開催されている日本映画祭は、今年で42回を数えます。こちらも、国際交流基金と在モントリオール日本総領事館が共催し、無料で日本映画を紹介しています。

文化都市モントリオールでは、日本映画は地元に根付いた文化的存在です。「シネマテーク・ケベコワーズ」で毎年開催されている日本映画祭は、今年で42回を数えます。こちらも、国際交流基金と在モントリオール日本総領事館が共催し、無料で日本映画を紹介しています。

《バンクーバー》

人口の約3割がアジア系という都市の特性もあって、日本映画は自然に受け入れられています。特に、アニメ作品は極めて高い人気を誇っています。VIFF (バンクーバー国際映画祭)も大規模な映画祭で毎年、日本映画がコンスタントに上映されています。

また、1997年から開催されているバンクーバー・アジア映画祭は、カナダで最も長く続くアジアに特化した映画祭です。日本映画専門ではありませんが、北米に生きるアジア系移民の視点を重視しています。

そして、今、バンクーバーと言えば、今年のエミー賞を総なめにした『SHOGUN将軍』のロケ地としても注目されています。信長・秀吉・家康の時代をベースにしたフィクションですが、綿密な時代考証に基づいた、リアルなセットを提供するブリティッシュ・コロンビア州の自然と懐の深さを示していると思います。

そして、オタワ〜日本映画週間

何事であれ、如何なる組織であれ、新しい事を始めるのは容易ではありません。大使館として一言で「文化外交」と言いますが、その内実は非常に多岐にわたり豊穣で歴史と伝統と多様性に溢れています。その文化外交の中でも強力な求心力があるのが映画です。ですが、限られた予算と人員の中で、花・茶・盆栽・書道など伝統的な文化からポップ・カルチャーもある中で、どうバランスを取るかは、言うべくして易しく行うは難しです。最善を尽くして、今の日加関係を文化・映画の力で更に深化させようとする試みが、「オタワ日本映画週間」です。

オタワは、人口・経済の規模感、文化面での多様性は、上述のトロント、モントリオール、バンクーバーとは比較すれば、率直に言って、華やかさには欠けます。しかし、カナダの首都です。商業的な面を全面に出したイベントには馴染みませんが、この街に住む政治・行政・外交・学術・ビジネス・メディアそして一般の市民に、日本映画を紹介する意味は大きいと思います。正に、文化外交の檜舞台と言えます。日本映画は、日本の美意識・家族観・自然観・現代社会の葛藤を、時に雄弁に、時に静かに語ります。映像と音楽は言葉を超えて、日本を伝えます。

初めての「オタワ日本映画週間」は、古典から現代までの7作品を上映しました。従来は、オタワにおける日本映画の上映は、国際交流基金によるものも含め単発で1〜2作品というのが実情でしたから、今回は、それを大幅に拡充したのです。日本大使館広報文化班の情熱と構想力と知恵の結晶だと思います。

上映する映画の選択には、ギリギリまで色々と苦労がありました。

まず、訴求対象の考慮です。大使館が実施する文化行事には、中・高年層が多数を占める状況を踏まえつつも、子供から若い世代の男女にも関心を持ってもらえるような映画を候補にして、上映作品を絞り込んで行きました。一方、映画は芸術であり、文化外交の柱ですが、一方ではビジネスです。知的財産権の塊でもあります。準備・折衝・調整は並大抵ではありませんでした。“悪魔は細部に宿る”とは良く言ったものです。

バイタウン・シネマ

写真提供:在カナダ日本国大使館

日本映画週間に集まった観客

写真提供:在カナダ日本国大使館

 そして、次の7作品が、オタワの中心である連邦議会から徒歩で10分ほどに位置する「バイタウン・シネマ」で毎日上映されました。

・『万引き家族』是枝裕和監督(2018年)、カンヌ映画祭パルム・ドール受賞作品。

・『リンダリンダリンダ』山下敦弘監督(2005年)。

・『8番出口』川村元気監督(2025年)カンヌ映画祭ミッドナイト・スクリーニング部門出品。

・『BLUE GIANT』立川護監督(2023年)ジャズを題材にしたアニメ作品音楽は上原ひろみが担当。

・『サマーウォーズ』細田守監督(2009年) アニメ作品、AIの大規模ハッキング事件と家族の絆が題材。

・『異動辞令は音楽隊!』内田英治監督(2022年)阿部寛主演、叩き上げの刑事と個性豊かな音楽隊員たちの絆の物語。

・『七人の侍』黒澤明監督(1954年9)三船敏郎主演、世界中の映画に影響を与えた不朽の名作。

何事にも最初の一歩があります。大西洋に注ぐアマゾンの大河も源流を辿れば、最初の水は、ペルー南部アンデスのネバド・ミスミ山の北側の高地にある小さな湧水・雪解け水だそうです。今年、産声をあげた「オタワ日本映画週間」が、毎年継続して新しい歴史を刻み、オタワ市民に愛される日本映画祭に育てて参りましょう。

(了)

文中のリンクは日加協会においてはったものです。

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