秒進分歩のディープテックと日加協力のフロンティア

山野内在カナダ大使

日加協会の皆様、日本とカナダの友好関係の発展を応援して頂いている皆様、こんにちは。

はじめに

最近、日々実感することですが、最先端科学技術が私たちの日常生活を根本的に変えています。スーパーマーケットでもホテルでもレストランでもキャッシュレスが当たり前です。行政的な手続きもほぼ全てオンラインで出来るようになっています。訴訟手続きもオンラインです。書籍や家電のオンライン・ショッピング比率は相当高くなり、オタワでは、実際の店舗を見ることは非常に少なくなってきました。情報伝達の態様もSNSの登場で様変わりです。政府の公式発表もSNSを通じてなされる場合が増えています。

そんな中、5月27〜28日、オタワで、CANSEC 2026という、カナダ最大級の防衛・安全保障トレードショーが開催されました。そこで人目を引くのが、防衛関連企業のみならず、サイバーセキュリティ、航空宇宙、AI、ロボット工学や3Dプリンティング等の先進製造分野の企業が多数参加していることです。これは、防衛分野と民生分野の境界が極めて曖昧になっていることを如実に示しています。民間市場で発展した最先端のデジタル技術を如何に防衛分野に取り組むかが、鍵になっていると思います。

この関連では、AIや量子等のディープテックにおけるカナダの先進性が注目されます。とい訳で、今回の「オタワ便り」は、カナダのディープテックの現状と日加協力の大いなる可能性についてです。

CANSEC2026

写真提供: 在カナダ日本国大使館

ディープテックとは何か〜ドローン

最近、メディア等でしばしば“ディープテック”という言葉を耳にし目にします。最先端の科学技術の趣旨です。が、もう少し深掘りしてみましょう。

“ディープテック(Deep Tech)”とは、単なる最先端のアプリ開発やサービス産業ではなく、量子技術、AI、ナノテクノロジー、生命科学、先端素材など、基礎科学に根差した革新的技術を指します。最大の特徴は、研究開発に長い年月と巨額の投資を必要とすることです。一方、開発に成功すれば、商業的には莫大な利潤をもたらします。と同時に、ここが最重要ポイントですが、ディープテックは産業構造や安全保障環境を根本的に変える大きな可能性を秘めています。

例えば、現在進行形で安全保障環境を変えているのが、ドローンです。一部には、既に「ドローン革命」と言う論者もいます。ウクライナ戦争では、小型FPVドローン(注)や商用ドローンがAI画像解析とリアルタイム戦場情報と一体的に運用されるシステムが世界に衝撃を与えました。数万円から数十万円程度のドローンが数億円の戦車を破壊しました。これは、安価な無人機が戦争のコスト構造を根本的に変えることを示したのです。

(注:FOVはFirst Person View を意味する。ドローンに搭載したカメラも画像を、操縦者がゴーグルやモニターでリアルタイムに見ながら操縦する方式。)

ドローンの最大の特徴は、民生技術と軍事技術の境界が曖昧な点です。配送用・農業用・測量用のドローンと、偵察・目標捕捉・攻撃支援を目的としたドローンの技術的な基盤は共通しています。

つまり、ドローンは単なる小型航空機ではないということです。ドローンの本質は「空飛ぶ情報システム」です。ここには、AI、センサー、通信、衛星、半導体、クラウド、データ解析の最新ヴァージョンが集積しています。要するに、ドローンは典型的なデュアルユース技術です。これは、ディープテックの特徴をリアルに体現しています。

ドローン

そして、カナダはディープテック分野で静かに、しかし、着実に存在感を高めていると思います。ディープテックの3大分野、AI、量子、そしてナノテクノロジーにおけるカナダの最新状況を見て参りましょう。

AI大国カナダ

現在の生成AI時代の土台を築いた研究者として、四天王がいます。まず、2024年のノーベル物理学賞を受賞したトロント大学名誉教授の ジェフリー・ヒントン、モントリオール大学のヨシュア・ベンジオ教授、ニューヨーク大学のヤン・ルカン教授、そしてアルバータ大学のリチャード・サットン教授です。

ヒントン・ベンジオ・ルカンの3人は、機械学習・ディープラーニングとして知られることになるニューラルネットワークとそのアルゴリズム化の研究をトロント大学で協力していた時期があります。サットンは彼らとは別で、2016年にアルファGoというAIで、囲碁の世界チャンピオンを負かしたことで有名です。

ジェフリー・ヒントン教授

写真提供: Vaghn Ridley氏

ヨシュア・ベンジオ教授

写真提供: Maryse Boyce氏

ヤン・ルカン教授

写真提供: Jérémy Barande氏

リチャード・サットン教授と山野内大使

写真提供: 在カナダ日本国大使館

実はこの4人でカナダ生まれは一人もいません。ヒントンは英国ウィンブルドン、ベンジオとルカンはフランスはパリ、サットンは米国オハイオ州の出身です。しかし、彼らが研究の拠点として選択したのは、カナダでした。自由で開放的で大らかな雰囲気と政府・大学の寛大なサポートがありました。海のものとも山のものとも分からず、将来性が全く見通せない研究を続けることが可能だったのは、カナダの優位性を示すと思います。

実際、カナダ政府は、2017年に世界で初めて国家AI戦略を掲げた国になりました。この国家AI戦略を推進するためのAI研究所として、トロントのVector Institute、モントリオールのMila (Montreal Institute for Learning Algorithms)、エドモントンのAmii (Alberta Machine Intelligence Institute)が設立されました。これらは、世界最高水準の研究機関です。日本からも研究者や企業関係者が共同研究開発に参画しています。

但し、AIを巡る国際競争は苛烈です。巨大IT企業と圧倒的な大資本を擁する米国或いは中国との競争の中で、カナダは研究こそ強いが産業化では苦戦していると指摘されています。

この課題に対して、カナダ政府は2022年には、国家AI戦略の第2フェーズへ移行し、AI研究の商業化や実用化に向けた取り組みが強化されています。

量子〜21世紀のフロンティア

量子は、21世紀の“戦略技術”の象徴です。

例えば、量子コンピューターは、従来のスーパーコンピューターでは何千年もかかる計算を極短時間で実行する可能性を持っています。この圧倒的な演算速度を利用することが出来れば、暗号、創薬、金融、素材開発、防衛などの幅広い分野に革命的な進化をもたらすと期待されています。

カナダは、量子分野で世界の最前線にいると見られています。

その代表格が、D-Wave System社です。太平洋岸のブリティッシュ・コロンビア大学発のスタートアップ企業です。同社は、世界初の商用量子コンピューターを開発・完成し、販売しています。その技術の核心は、アニーリング方式という独自技術です。

若干の説明をさせて頂くと、量子には、超低温状態にある時に“量子の揺れ”或いは“重ね合わせ”という独特の現象故に、量子ビット(情報を処理する最小単位)が「0にも1にもなる」特性があります。その特性を活用することで、計算速度を数億倍も高速化できるのです。一方、「0になるか1になるか」は、様々な要因に左右され、僅かなノイズでも影響を受けてしまいます。常に不確実性があります。ゲート方式量子コンピューターは幅広い汎用性を目指していますが、量子が「0になるか1になるか」の確率を高めることが非常に難しいのです。一方、Dウェーブ社は、アニーリング方式を採用しました。この原案は日本発の技術です。アニーリング方式の鍵は、汎用性を捨て、特定の目的に絞った量子コンピューターを目指した点です。「0か1になる」確率を実用化し得る程度に高めることに成功したのです。

量子コンピューターの圧倒的な力には、米国のNASAやロッキード・マーチンも注視していて、彼らは最初期からの顧客です。

実は、カナダには、他にも注目すべき量子企業があります。二つだけあげます。一つがトロントのXanadu社です。同社は、光子(フォトン)を使って量子コンピューターを実現しようとしています。要するに、光そのものを量子として利用するという発想です。最大の利点は、超低温状態にせずとも常温で動作が可能となるのです。その上、光は既に光ファイバーやインターネット通信で使われています。従って、量子コンピューター同士をネットワーク接続しやすいという優位性もあります。光は、超高速で情報を伝達できるので、高速演算の並列処理に適していると言われています。

その上で、Xanadu社が提供しているオープン・ソフトウェア“PennyLane”は、AIと機関学習と量子計算を結びつける開発基盤です。これは同社が、ハードウェアとソフトウェアの統合を目指している証左です。

もう一つの注目カナダ企業がバンクーバーのPhotonic社です。同社は、シリコン技術と光技術と量子物理を融合する独自路線を進めています。その核心は、半導体産業で培われたシリコン技術と光通信を組み合わせた、量子ネットワークです。その先には、ネットワーク化された量子コンピューターが視野に入っていて、量子暗号通信や分散量子計算や超安全通信が実現することが期待されています。

実は、このような量子ネットワークは、超高度暗号や傍受困難通信や次世代軍事通信を可能とするもので、21世紀の安全保障と直結していると言えます。

量子技術は、ビジネスのみならず安全保障にも直結する極めて戦略的な技術です。現在、米国、中国、欧州、日本、そしてカナダが激しく競争しています。カナダ政府は、2023年に国家量子戦略を策定し、研究投資・人材育成を強力に支援しています。

ナノテクノロジー

ナノテクノロジーは、AIや量子ほど目立たないかもしれませんが、ディープテックの三大技術の一角を占めています。ナノテクノロジーとは、物質をナノメートル(nm)という極めて小さな単位で制御・加工・利用する技術のことです。因みに1nm=10億分の1メートルです。人間の髪の毛の太さが8〜10万ナノメートルと言われていますから、ナノの世界は原子や分子に迫る超微細な領域です。

物質は、ナノレベルまで小さくなると、通常とは異なる性質を示すことが知られています。例えば、電気を通しやすくなる、強度が飛躍的に増す、熱伝導率が変わる、光の反射や吸収が変化する、化学反応が活発になる等です。

ナノテクノロジーは、超微細なレベルでの物質のこのような特性を活用して、原子・分子レベルで物質を設計し、従来にない機能を生み出す技術です。半導体・電池・量子デバイス・医療・宇宙・防衛などの幅広い分野に応用されています。

例えば、グラフェン(graphene)です。グラフェンとは、炭素原子が蜂の巣のような六角形の網の目状に結びついた、厚さ原子1個分の非常に薄いシート状の物質です。鉛筆の芯に使われる黒鉛(グラファイト)を極限まで薄く剥がしたものです。五つの特性があります。

① 圧倒的な強度:ダイヤモンド並みの強度で、鋼鉄の約100倍。

② 優れた電気伝導性:銅やシリコンを遥かに凌ぐスピードで電子が移動する。

③ 高い熱伝導性:熱を伝える能力が高く、放熱シートに最適。

④ 透明性と柔軟性:光をよく通し、かつ折り曲げることができる。

⑤ 超軽量:最も軽い素材の一つ。

このような特性で、生活に密着したスマートフォンや自動車、スポーツ用品にも普及しています。しかし、今後注目されるのは、EV、航空宇宙、防衛、次世代電池との関係です。

カナダでは、ウォータールー大学、アルバータ大学、ブリティッシュコロンビア大学での研究が注目されています。特に、ウォータールー大学は最も進んでいて、キャンパス内に総工費1億6,000万加ドルの「マイク&オフィーリア・ラザリディス量子ナノ・センター(Mike and Ophelia Lazaridis Quantum-Nano Centre)」(QNC)が設立され、世界初のナノテクノロジー専門学部を有しています。

実は、前述の量子コンピューターの実現にはナノテクノロジーが不可欠です。量子ビットを製造・制御するためには、原子や分子レベルのnm (10億分の1m)規模の超微細加工技術が直接使われています。  つまり、ナノテクノロジーは「量子革命の土台」を成すものです。

結語

ディープテック分野における日本とカナダの協力は、AI 、量子、半導体、先端材料、ナノテクノロジー等の重要技術において急速に拡大しています。

例えば、本年2月には、日加両国政府が「産業科学技術分野に関する協力覚書(2023)」に基づく政策対話を実施。カナダ国立研究機構(NRC)は産業技術総合研究所(ASIST)や理化学研究所と多数の共同プロジェクトを実施中です。

産業科学技術分野に関する協力覚書に基づく政策対話

写真提供: 外務省

また、「Deep Tech Canada」などの公的機関と在京カナダ大使館が連携し、カナダの先端材料・ライフサイエンス企業の日本市場の開拓を支援しています。更に、カナダ政府は、カナダのディープテック分野の優良なスタートアップ企業を日本の投資家・企業と直接繋ぐ努力を続けています。

ディープテック分野は、21世紀の社会構造そのものを変えるインパクトを持っています。そして、ビジネスと安全保障の境界そのものが既に相対化しています。同時に、グローバルな競争は苛烈を極めています。が、何事も一か国だけでは完結しません。ライバルとパートナーを見極めて競争・協力しなければなりません。日加両国は、相互に信頼して強みを補完し合える関係にあると思います。両国の政府、公的機関、大学、民間企業の間で重層的な連携・協力の一層の進展が期待されています。

(了)

文中のリンクは日加協会においてはったものです。

Ontario/オンタリオ州

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Toronto/トロント

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Ottawa/オタワ

Montreal/モントリオール

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Alberta/アルバータ

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